北京事務所赴任日記

赴任当時、ちょうどゼロコロナ政策の転換期であり、北京に到着した時には市中感染が相当広がり、人や車が激減している状況でした。そんなドタバタの赴任日記を当事務所ホームページに掲載していますので、どうぞご覧ください。(今となっては出来ない貴重な体験でした(苦笑))
12/11 新潟市→成田空港
12/12 成田空港→北京首都国際空港→北京市内施設にて隔離(4泊)
12/16 北京市内施設隔離→北京市内自宅マンションにて自宅隔離(3泊)
12/20 北京事務所 着任
(荒井)

12.11

とうとう中国に向けて新潟を離れるときが来た。市役所勤めで、家族としばらく離れるようなことになるとは思わなかったが、いよいよ中国へ。
新潟駅まで妻・娘、職場の方が見送りに。しばらく会えないという実感があまり沸かないけど、テレビで見たような別れの場面をまさか自分が経験するとは。じゃぁね~~。
新幹線が出発したあとに、次にいつ戻るか分からない状況でしばらく会えないと思うとこみ上げてくるものがあった。思いつくままに家族に宛ててLINEでメッセージを送り、いざ成田空港へ!
さすがに関東はスッキリ晴れて気持ちいい。早速、成田空港にあるPCR検査場へ。検査官からは、「万が一陽性の場合は公共交通機関を利用できませんのでご了承ください。」とのこと。「分かりました」と答え、「陽性になる人もいるのですか?」と聞くと「たまにいますね」とのこと。どうやって新潟に戻るのさ、と思いながら鼻に綿棒を突っ込まれて終わり。「2時間後に来てください。もし陽性だったら電話しますので。」と言われて、ドキドキしながら結果を待つことにした。
その間に、電子健康申告というアプリで搭乗情報や健康情報を登録した。これが、全然うまくいかなく何度もやり直し。そこで電話が鳴った。まさか、と思って電話を見たら、新潟の番号で車検会社から。ホッとしながらも慌てていたので、「今、取り込み中」と電話を切り、続行。ようやくアプリ登録が出来たところで、もう時間だ。結果を聞きにいくと、「まだ証明書が出来ていませんね。電話鳴っていないですよね。」と言われて「はい」とちょっと心配になる。しばらくすると陰性証明書をもらい、ひと安心。
そして、成田空港近くのホテルに行って、チェックイン。最後の関門、健康コードの取得作業。スマホから陰性証明書をアップロードして申請。申請中のオレンジランプが着いたので作業終了。少し時間あるし、日本最後にジョギングするかと外へ。夕飯の候補先としていた近くのラーメン屋の前を通るものの、コロナの影響だろう閉店していた。ホテル周辺を走り部屋へ。夕飯は成田空港ターミナルで味噌か醤油ラーメンでも食べようと向かったものの全然店がやっていない。やっているのは、マクドナルドやスパゲッティ屋などわずか。さすがの成田空港もコロナでかなり縮小している。確かに客なんて全然いなくてガラガラ。せっかく日本最後の夕飯なので、せめて日本ぽいところということで吉野家へ。サラダお新香でビールを飲んで、〆に牛丼・味噌汁。最後の夕飯は終了。その後無事に健康コードも取得できていた。これで渡航準備は終了。さて、明日はいよいよ出発ということで就寝。ちょっと思ったより飲ぎたか。

12.12

さあ出発の朝。ホテルシャトルバスに乗って成田空港へ。少し並んだけどスムーズに搭乗口へ。ビジネスクラスはある程度埋まっているが、エコノミークラスはガラガラ。2~3割くらい。航空代金はバカ高い。旅行客はゼロだから、どうしても行かなければならない人しか乗らない。
現地時間11:45頃北京首都国際空港に到着。噂どおり空気が汚れているのか遠くがかすんで見える。太陽が直視できた。しばらく待って、飛行機を降りた。一方通行で進む。この空港もまるっきり人気が無く、ものものしい防護服姿の係員しかいない。途中でPCR検査、申告書を記載。中国語と英語で書いてあるが、どちらも中途半端にしか分からないため、フィーリングで記載。裏面もあることに気づかず、もう一度記載。入国審査では何も聞かれず通過。そのままバス乗り場へ。係員から、指を指され荷物をベルトコンベアに乗せる。専用のトラックへ流れていった。そしてバスに乗車。「おいおい俺の荷物ちゃんと来てくれるかな?」と不安になりながら乗車して待つ。これが全然動かない。事前に施設まで長く待たされるとネットで調べていたので電子本を読みながら待つ。幸い車内は定員の半分くらいの乗車でゆとり有り。ここまでスマホの設定が悪く海外ローミングが出来ず全く通じない。職場にバスに乗ったことを伝えたかったが無理。ちょっと不安になる。なんでもかんでもスマホが必要な中国では辛い。あとで分かったが座席の前にあるバーコードで情報を入力しておく必要があったらしい。それも分からず黙って乗車。1時間近く待ってようやく発車。高速道路へ。
道路はガラガラ。どうやら北京はコロナの拡散で怖がって外出を控えているらしい。快調に目的地まで進む。みんなどこに連れられて行くのか分からないわけだから、少しだけ不安な様子。さながらミステリーツアーだな、と思いながら進む。パトカーを先頭にバスが3台と荷物を載せたトラックが続く。バスはずっとハザードランプをつけて走る。30~40分走って目的地に到着。マンションが立ち並ぶ団地のよう。建物は新しい。もう16時になりそう。さあ、到着だ。
到着すると係員がバスに乗り込み、人数を数える。そしてN95マスクを持っていない人に配布した。当然私も持っていないため貰う。ここでのマスクはN95しか許されていないようだ。少しずつ呼ばれた順に降りて、受付テントへ。
係員は我々が歩いた足跡に入念に消毒液をかける。受付テントでは地区の移動履歴アプリのスキャンを求められるも、携帯がつながっていないためにうまくいかず。先ほどの車内でのバーコード入力をしていなかったため、手こずっていると近くの日本人が教えてくれて、紙に氏名や住所を記入することに。部屋のチェックインQRコードの紙を受け取り。スーツケースを探すも無い!係員が指を指して、あそこにもあると。無事発見し、マンション棟へ。入口でウィーチャットのグループチャットQRコードがあってかざすが携帯が繋がらないために不可。そこでQRコードの紙をもらって完全防護服を着た係員とエレベーターへ。何を言ってるか分からず「等一下!(ちょっと待て)」と連呼されその場にいても叫び続けられるも何とか6階へ。係員は私のスーツケースに一切触ろうとせずにようやく部屋へ入る。ここまで完全にばい菌扱いだなと実感。この部屋から5日間一切出られない。
中に入ると、綺麗だったが手狭だった。日本の学生寮のワンルームマンションみたいな感じ。中国にしては狭い部屋なんだろう。6階の間取り図を見ると、ここともう1部屋だけ小さい。ある意味ハズレかも知れないが、日本ではこれが普通なので我慢できる。水のペットボトル550ml×24本、トイレットペーパー2つ、ケトル、ゴミ袋有り。冷蔵庫と洗濯機は使用不可であった。ふぅ、やっとひと安心、と思ったのもつかのま。すぐにスマホをつないでグループチャットに入らなければ。急いでWi-Fiにつなぎ、チャットに入る。そのあとも地区の移動履歴アプリや北京市の移動履歴アプリの入力を試すもうまくいかず。北京事務所と連絡を取りながら試行錯誤。食事について説明資料があり、どうやら何もしなければ普通食が3食配布されるらしい。ほかにベジタリアン、ハラル対応があった。また要らない人はグループチャットで申し出よ、とのことであった。料金は宿泊380元/日(約7,600円)、食事800元/3食(1日)(約1,600円)のようだった。
そんなこんなであっという間に、夕食の時間。17:30過ぎに、ドアを激しくノックして何かを言っている。夕食が届いた。銀紙の袋に入った熱々の弁当だ。開けてみると中華料理の弁当にミカン。このミカンも熱々になっている。日本とは違うスパイスの味で外国に来た実感を味わいながら食す。量が多い。中国人は良く食べると市内のホテルマンに聞いたことがあったが、本当に多い。残すことのない私でもご飯を残した。無理は止めよう。太ってしまう。食事が済んだら、色々な関係者に無事に着いたこと、これまでの写真を送ろうと様々な人に連絡した。隔離施設のグループチャットには矢のように色んな人の書き込みがある。エアコンがつかない、電気がつかない、ドライヤーが壊れている。何で一人なのに二人部屋にして高い料金を払わされるんだ。薬を違う部屋の人に渡したい、などなどずっとスマホがブルブルと鳴っていた。そんなこんなで初日が終わり、もう寝る時間だ。そう、ここでは飲酒禁止だと掲示してあった。そもそも酒を持ち込んではいないが、健康的に5日間禁酒だ。

12.13

深夜、目が覚めると外では係員が何かを指示して叫んでいる。こちらの方の声は大きい。もう一眠りして朝を迎える。お腹が空きながらお茶を飲んでいる間にもグループチャットで質問が絶えない。いつ帰られるのか?宅配の注文は届かないのか?朝食は鳥のエサか?(鳥のエサよりは断然美味しい)などなど。今朝の新潟日報にも「中国ゼロコロナ崩壊」とある。市中では普通に感染者が大勢おり、北京事務所の周辺や関係者でも感染者が見られていた。こんな状況で、我々だけ厳重管理して意味がある?との思いはあったが、誰も急には止められないだろう。テレビをつけてニュースを見ていてもあまりコロナの騒ぎは報じている感じもなく、経済成長を報じているニュースもあった。
室内にある説明書には体温チェックがあるようなことが書いてあったが、食事を持ってくる以外に何の連絡もない。そんなことに対応しているスタッフの人員が足りていないように感じられた。何せグループチャットには100人登録されている。その返信だけでも付きっきりだ。みんな言いたい放題。でも親切な日本人は「日本人の方でお困りのかたはお知らせください。」との書き込みあり。「何かあればよろしく」と見知らぬ日本人に返信。そうしているとグループチャットでどんどん不満の声が書き込みされる。対応が遅い、返事が無い、社区(自治会のようなもので迎えに来てくれる団体)が対応してくれないのでどうしたらいいのかなど。ある人は社区に感染者が出たため、もう迎えに行かないとの人まで現れた。そうなればどうやって帰れば良いのか。幸いにも我々の事務所兼住所地を管理している会社はしっかりしており、「大丈夫です。5日後に迎えに行く準備は出来ています。」とのことであった。頼もしい。コロナが拡大してますます混乱しているようだ。不安な人も多いだろう。私は事務所やマンション管理会社がしっかりしているので不安はほとんどなかった。
外は氷点下らしいが快晴で風もなく穏やか、しかも暖房システムがしっかりしていて床からも暖気があり、エアコンだけで十分暖かい。快適だ。
ここまで料金支払いについてよく分からなかった。ウィーチャットで払えるとのことであったが、中国の銀行口座を持っていない私は不可。しかし事務所が問い合わせてくれてクレジットカードで払えるらしいとのこと。待とう。
20時頃にドアをノックしながら誰かが順次回っている。困ったな。何か言われたらどうしよう。今まで少し中国語は勉強したが、丁寧に対応する気が無い係員にはカタコトでは何も伝えられないと自覚していた。その時は「我不知道中文。我是日本人(私は中国語は分からない、私は日本人だ)」と堂々と言おうと決める。ドアをノックされ開けると綿棒を持っていた。PCR検査だ。マスクをずらし、ちょっと口に入れて終わり。本当にこれで正確な検査か?と思われるほどあっさりしたものだ。ホッとした。
夜も更けてくると、ますます不平不満のチャットの書き込みが続く。どうやら同じ飛行機に乗った人が北京空港の検査で陽性だったらしく、本日自宅療養に切り替えて帰ったらしい。なぜ陽性者が自宅に帰れて、陰性者が隔離されなければならないのか。隔離させて収入を確保するためではないのか。明日帰ります、と言い出す人。家に帰るのになぜ隔離なのか?(そのとおりだと思う)。北京はこんなにも感染が広がっているのにここに閉じ込めるのはどうしてだ。我々は陽性者よりひどいのか、などなど。ちぐはぐな対応は否めない。ゼロコロナ政策の綻びが垣間見えた。担当者から残念ながら返事は無い。どうせ5日間隔離するつもりなので、流れに身を任せよう。揉める気などサラサラない。

12.14

今朝の朝食は軽めだったので完食した。ここで懸念材料は二つ。私の北京健康宝(市内を移動するためのアプリ)が稼働していないこと。これは私が中国の携帯番号を持ち合わせていないためか、北京健康宝がすでに機能停止しているかどちらかだろう。もうひとつは支払いをどうするか。これは事務所に訪ねてカード支払いであることをグループチャットで知らせてひと安心。事務所スタッフには本当にお世話になる。
ここでグループチャットでは、またまた不平不満が書き込まれる。集中隔離はおろかである。早く帰らせろと。担当者は当局と相談しているが回答が無いとのこと。昨日より不満のトーンは下がってきたように思える。みんな諦めとともに現状に慣れてきたのだろうか。
懸念してきた料金支払いについては、グループチャットでカード支払いと伝え了承された。これでひと安心。

12.15

隔離生活もだいぶ落ち着きを取り戻した。こちらは毎日晴天で穏やかな天気である。新潟より気温は低いが、こちらのほうが過ごしやすいかもしれない。
日数が経つにつれて生活物資のリクエストの書き込みが増えてきた。案外丁寧に対応してくれるようで、水・トイレットペーパー・ゴミ袋・N95マスク・紙コップ・ボディーソープ・シャンプー・消毒液の補充がウィーチャットから申し込める。タオルや軽い清掃もしてくれるようだ。私は備え付けの備品で充分に足りていた。
20時過ぎに突然ノック。ドアを開けると係員が二人。クレジットカード決済端末のようなものを持っていた。「信用卡(クレジットカード)」と自ら告げ精算。金額を提示されたが、この金額で良いかどうか分かるはずもなくカードを渡し決済。(どうせ多く払ってあとで返金するシステムらしいからいいや)決済が終了し、またホッとする。

12.16

隔離生活も残りわずかになってきた。チャットでは本日帰れるのではないかと書き込みがあふれていた。朝、PCR検査を実施し、結果が出る15時以降に門を開放するとのこと。確かに朝8時前にPCR検査が行われた。しかしマンション管理会社からは「17日で変更ありません。」と言われていたので明日だろうと思っていた。ところが9時頃マンション管理会社から「今日マイクロバスを手配する予定」との連絡があった。その後、正午頃に見ず知らずの人からウィーチャット電話の着信音が鳴り、「もしもし〇〇に行く方ですか?15時頃に合計4名で帰りますので準備しておいてください」との事であった。やはり今日自宅に行けると分かり、身支度を整えた。階下には何台かのバスが到着し、本当に行けるのだと確信した。
見知らぬ4人と関係者2人でグループチャットを形成し、乗り込むバスの写真がチャットにアップされ時間を待った。15時になり、もう行ってよいかと思い、勝手にエレベーターで降り、出口にいた係員に氏名を告げ、チェックされマンション専用のバスに乗り込んだ。誰もおらず一番乗りであった。他の方は、「まだ係員から呼び出されていません」とのことであり、私はフライングで降りてしまったようだ。「まずいか?」と思ったが、関係者から「出口でチェックを受けたのなら大丈夫。これで陽性者だったら大問題ですが、中国は早い者勝ちの国です」との返信あり。それからマンション行きの日本人が次々と乗り込んできた。奥さんが北京にいて正月を北京で過ごすために来たO氏、中国本土は初めてという大手マスコミのN氏、電機メーカーのT氏。挨拶を交わしながら、4人で話をしながらマンションへ向かう。何となく一緒に隔離されたこともあり同志のように感じる。自己紹介をしながら、バスは走る。「なぜ1日繰り上がったんですかね?」(何度も北京にきているO氏)「隔離5日だけど定義は決まっていないからね。今までは5泊としていたけど、担当者が気を利かせて(4泊)5日で良しとしたのだろう。機転の利く担当者だった。これも中国流だね。」車窓から眺めると道路はガラガラ、人通りはどこへ行ってもほとんどなかった。
マンションに到着するとスタッフが数人待ってくれており、鍵を受け取った。「これから自宅隔離になります。封筒のなかに鍵と入居の案内、抗原検査キットが2回分入っています。月曜の朝と火曜の朝に検査してどちらも陰性ならば、火曜の朝以降外出できます。」との案内を受ける。ここまで色んなことがあったがあとは隔離期間が終えるとようやく事務所に出勤できる。夕食と一緒に久しぶりのビールに口をつけた。これだけ様々な方に良くして頂いて何とか自宅までたどり着いた。ホッと一息ついた。   (終)