北京では連日猛暑が続いている。7月22日から「二十四節気」の「大暑」に入った。1年を通じて一番暑い時期である。先月は6月なのに38度の日が続いた。7月に入ると、さらに気温は上がり、最近は37度が日常化している。8月には最高気温が45度にまで上がるという予測もある。これも温暖化のせいなのだろうか。私が住んでいた1950年代末から1960年代にかけては、30度を超えると「非常に暑い」と言い、35度などという日は稀だった。また北京の冬は、昔に比べ平均気温は上がっている。私の記憶では、最も寒い時期はマイナス10度が当たり前だったが、今はマイナス10度まで下がる日は、真冬でも数日あるかないかだ。
昨年開催されるはずだった中国共産党第20期中央委員会総会第3回全体会議(3中全会)が、7月15日から18日まで北京で開かれた。この会議は2つの意味で非常に注目された。1つは、中国は「ゼロコロナ」政策の後遺症と欧米などによる「経済封鎖」に悩まされ、経済が停滞した状態が続いている。「3中全会」は、経済、対外政策を含みどのような具体的対策・解決策が出るのかという事だ、自分たちの生活に関わるので関心度は高い。もう1つは、習近平指導部は、鄧小平の「改革開放」路線を継承するのか、それとも毛沢東路線回帰の方向に進むのかという注目である。圧倒的多数の人は、鄧小平の「改革開放」路線の受益者であり、従って当然この路線が続く事を望み、「毛沢東路線回帰」を恐れていた。もし鄧小平路線が事実上否定され、「毛沢東路線回帰」になれば、改革開放により得た「豊かさ」は失われるのではないかという恐れである。この恐れは、特に富裕層に顕著だ。
3中全会は「改革を一段と全面的に深化させ、中国式現代化を推進する事に関する党中央の決定」(以下「決定」)、「改革をいっそう、全面的に深化させ、現代化を推進する事に関する党中央の決定」(以下「コミュニケ」)を発表し終了した。
3中全会の討議の過程は公表されないので、同会に関してはこの「決定」と「コミュニケ」で判断するしかない。前者は15章60項目からなる膨大なもので、後者は3中全会の内容を概括的に述べた簡潔な文章である。
「決定」と「コミュニケ」から見えるのは、中国指導部が危機感を持って重視しているのは「安定」と「経済」である。「安定」とは国家の安全、社会の安定、習近平指導部の安泰である。この中では中国のすべてを指導する「核心」である習近平指導部の安泰が最優先される。「経済」では、「改革」という文字が多く使われ、経済各分野の政策、対策が羅列されている。その中でも特に強調されているのは「科学技術体制改革の深化」と「財税体制改革の深化」だ。
当面の経済はもとより、中長期的に中国経済を底上げ、発展させるカギは「科学技術にあり」という考えだろう。その意味で、2015年習近平指導部が作成、発表し、欧米先進国を震撼させた「中国製造2025」(注1)は生き続け、EVや宇宙開発などの分野で着実に成果を挙げている。
財税改革については、かつて習近平指導部は腐敗の防止、格差の是正に関し「3つの分配」(注2)を提起したが、その内の「第2の分配」が税制改革だった。中国には今に至るも相続税と贈与税はない。親が金持ちなら子も必然的に金持ちになる。日本では厳しい税制度があるので、どんな資産家もそのままにしておけば、3代で資産はなくなると言われる。この相続税、贈与税導入は、富裕層の猛烈な抵抗に遭い、その後音沙汰がなくなったが、今回導入する事が再度表明されたわけだ。多くの人は歓迎するだろうが、これで富裕層の「海外脱出」、あるいは地下銀行などを通じた「資金の海外移転」がさらに増えるだろう。そしてそれを防ぐために金融機関への管理はさらに厳しくなるのは必然だ。
その他、不動産や地方政府債務問題、民営企業の振興問題、中小金融機関の危機などに対する、細かい対策が提起されているが、実際それら対策が機能するかどうかは、今後の推移を見ないと判断できない。
さて、当面の諸問題はさて置いて、多くの人は3中全会の「決定」と「コミュニケ」を読んで、先ずはホッとしただろう。それは習近平指導部が改革の深化、改革開放の継続、社会主義市場経済の堅持を明らかにしたからである。さらに一歩進んで、改革と社会主義市場経済推進について、次のように宣言した。
①2029年までに、3中全会で提起された諸改革を完成させる。
②2035年までに、「ハイレベルの社会主義市場経済」を完成させる。
すでに建国100周年の2049年までに「社会主義現代化強国」建設を完成させるという目標を掲げている。国でも企業でも、具体的目標を掲げ、「その目標に向かって、一致団結して邁進する」のは当然である。ただ企業などは売上、利益率、コスト削減などの具体的目標数値を示すのが普通である。そして目標が未達成だった場合は、誰かが、何らかの形で責任を取るのが一般常識である。ところが上記の「改革の完成」、「ハイレベルな社会主義市場経済の完成」、また「社会主義現代化強国建設」などは、何を以って「完成」と言うのかは基準も数値もなく、曖昧である。また「改革の完成」は2029年までと期限を切ったが、この2029年は微妙な年である。それは、党のトップである総書記の任期は2027年までであり、国のトップである国家主席の任期は2028年までだからだ。両方とも定年制はないので、再選は可能である。これまで党の指導部は「7上8下」(党大会の時点で67歳以下なら残留する事が出来、68歳以上なら引退する)というのが慣例だったが、前回2022年の党大会でこの慣習は撤廃された。また国のトップである国家主席については、憲法で「2期10年」までと決まっていたが、これも2018年の憲法改正で撤廃された。いずれにせよ、党と国家のトップの任期が切れる2027、8年頃には「改革の完成」の答えが出るはずだ。「改革」がある程度順調に進めば、習近平の再々続投はあるだろう。もし改革が滞り、うまく進まなかった場合はどうなるだろう。その時は、党指導部人事の刷新が起きるかもしれない。
昨年開催されると言われていた3中全会が今年の7月まで延びたのは、複雑化する国際情勢や、厳しい経済にいかに対処するかについて議論があり、なかなか政策と戦略が決められなかったのではないかと、ある友人は解説する。歴史を辿ると、中国は3中全会で歴史の転換となるような重要な決定をしている。1978年の3中全会では、それまでの文化大革命を完全に否定する「改革開放」路線実行が決定された。1993年の3中全会では、市場経済導入が宣言され、「社会主義市場経済」という言葉が生まれた。2013年の3中全会では市場の役割が重視され、民営企業の育成と発展が強調された。つまり1978年以降今日まで、市場経済が深化し、経済分野では「社会主義」の要素が急速に薄れてきた。今回の3中全会も、「決定」と「コミュニケ」を見る限り、この延長線上にある。
筆者は、習近平は今回の3中全会に満足しているのだろうか、懐疑的である。1つには、多くの人が鄧小平の改革開放路線は継続されるのか、それとも毛沢東的なものへの回帰が起きるのか、固唾をのんで3中全会を見守っていた事だ。それは少なからずの人が、習近平の中に改革開放・市場経済に逆行するような「臭い」を感じ取っていたからである。鄧小平後、江沢民、胡錦涛の時代は、「党の指導」の下という縛りはあるが、市場の重視、私営企業の振興と国営企業に対する抜本的改革が強調された。江沢民、胡錦涛、及び習近平指導部の中で国務院総理を務め、経済全般を担当していた李克強は、鄧小平路線を継承発展させ、民営企業の発展と市場を重視した。その結果「民進国退」(民営企業が栄え、国営企業が後退する)という現象が起き、ITなどを中心に新興産業が勃興し、アリババ、ファーウエイ、テンセント、BYD、レノボ、万科など、中国経済に大きな影響を与える巨大民営企業が生まれた。因みに「フォーチュン誌」が毎年発表する、世界の会社を対象とした総収益ランキング「フォーチュン・グローバル500」には中国の民営企業から28社がランクインしている。ところが習近平が権力基盤を強化するに従い、国営企業が重視され、中国は社会主義なのだから、経済は「国営企業を中心とし、その前提の下に民営企業を発展させる」という方針に変わり、新興の巨大民営産業は「独占禁止法」違反などを理由に厳しい制限を受けた。そして「国進民退」(国営企業が栄え、私営企業が後退する)現象が起きたのである。確かに経済面でも鄧小平的なもの(資本主義)が縮小し、毛沢東的なもの(社会主義)が強化されたという面がある。
もう1つは、社会や文化、教育面での変化である。「安全・安定」が強調され、各種の管理、統制が厳しくなった。日本を含めどの国にも共通する事だが、中国でも至る所に監視カメラが設置され、顔認証システムが多用されている。青少年に対する「愛国主義」発揚を目指す思想教育が強化されている。改革開放がスタートした後、限定的ながら、かなり「自由度」が増してきたが、ここに来て思想的な引き締めが強くなっている。今中国の人は公私に限らず、外国人と会う場合には、上司の許可が必要だ。重要な用事がなければ、よほど親しい友人でなければ、なるべく外国人には会いたくないと思っている人が多い。習近平指導部が恐れているのは、外国の「スパイ」が潜入して来る事、そして外国人や外国在住の中国人が「西側の民主主義観や人権意識」を中国に持ち込み、中国人の意識を「蝕む」(精神汚染)事であろう。改革開放以前を知る年配者にとって、「思想教育」、「精神汚染」、「外国のスパイ」などという言葉を聞くと、思い出すのは毛沢東時代、特に文化大革命時代(文革)である。
その一方で、今の中国は経済が発展し人々は豊かになったが、「腐敗が蔓延り、格差が拡大し、国家の『主人公である労働者、農民』が一番底辺で喘いでいる。これが社会主義と言えるのか、先人たちは血を流し、命を犠牲にして、何のために革命をやってきたのだ」と疑問を持つ人も少なからずいるのだ。
今の習近平指導部の世代は、文革時代に農村に「下放」させられ、相当苦労した世代だ。文革の「酷さ」を体験している。しかし彼らは中学、高校、大学と文革の影響を受け、「毛沢東思想」にどっぷりと浸かった世代でもある。文革は酷かったが、「平等」を基本にし、「共同富裕」を目指す毛沢東思想に憧れる部分は多かれ少なかれある。理想主義者である毛沢東は、人間のエゴや欲望を否定、人々が助け合う豊かな平等社会を目指した。現実主義者である鄧小平は、人間が人間である以上エゴや欲望があるのは当然で、これらを消し去るなどあり得ないと考えた。そしてむしろ「欲望を解放」することにより、巨大な生産力と消費意欲を産み出す事を考え、成功した。これが競争の論理を取り入れ、大胆に対外開放をした「改革開放」であり、行き着いた先は市場経済である。しかし中国は「共産党の指導する」国家であり、上部構造の核心には共産党が座る。従って下部構造である市場経済の前に「社会主義」を付けた。「社会主義市場経済」と称するのである。つまり政治は共産党の絶対的指導を中核とした社会主義、経済は市場経済を基本とした資本主義だ。上部構造と下部構造が全く異質なものとなった。この大いなる矛盾を内包したまま、中国は驚異的成長を遂げた。
これまでは、とにかく非常に立ち遅れた経済を復活させ、成長させることに集中してきた。そして官民一体の努力の甲斐があって、中国は基本的に極貧層を無くすことに成功し、「小康社会」(ややゆとりのある社会)実現に成功した。経済的には大いなる成功を収め、中国は世界第2の経済大国へと上りつめた。しかしその一方で、格差の拡大、腐敗の蔓延、労働者・農民の相対的貧困など、平等の理念、「労働者と農民の中心の国」という社会主義的国家観からは、かけ離れる現象が起きた。自由競争を基本とした市場経済では、必然的に格差が生まれる。先進市場経済国(G7などの資本主義国)では、複数党制の下で野党が存在し、自由選挙が行われ、非政府のメディアが存在している。これらは政府や執権党に対する「チェック機能」の役割を果たしている。それでも格差は生まれ、腐敗は根絶出来ない。中国は西側の民主主義ではない「中国式民主主義」を目指しているが、国民に受け入れられる具体的内容を示すことも習近平が早急に取り組むべき課題だ。中国で「小康社会」が実現した今、人々の関心と欲求は「経済的なもの」から「精神的なもの」に移りつつある。その時問題になるのは「中国式自由、民主、人権」だ。この重要課題も習近平にのしかかっている。
国際社会では、習近平を強権、独裁、一強と呼ぶ。しかしある意味、今の中国では必然の結果かもしれない。もし習近平が在任中に直近の問題だけでなく、経済発展の中で埋もれてきた、そして今表面化しつつある根源的な問題を解決する決意をしたとするなら、党内で一強の地位を占め、強権を持ち、独裁的手法でないと出来ないからだ。改革開放と市場経済の旗を掲げながらも、社会主義への軌道修正、特に腐敗撲滅、税制改革を含む格差問題への取り組みをやろうとすれば、想像を絶する抵抗に遭うだろう。抵抗勢力の圧力は巨大であり、ある部分は多数世論の支持を受けている。習近平が身に危険を感じる事もあるだろう。
全ての重要問題、党務はもちろん、政治、経済、司法、宣伝、文化、教育などは、習近平の決裁がないと決まらないと言われる。毎日膨大な報告や決裁書類が習近平の下に届き、目を通し、決裁を行う必要がある。どんな人間も能力や体力、精神力には限界がある。一時期ならまだしも、これが日常的になり、長期間続いたら、当然正常な健康を保つことは困難であろう。超人的な能力、体力、精神力でかつて中国をけん引した周恩来は有名だが、その周恩来も長年の過労が祟り、癌を患い、77歳でこの世を去った。ある友人はこう言った「習近平は、経済を持続的安定成長させるとともに、社会主義の道を堅持し、宿題として残っている政治改革にも手を付けなければならないところで苦悩、苦闘している。彼には相当な圧力がかかり、ストレスは相当なものだろう。多くの人は彼の健康を心配している」。
今中国は経済の復興が最重要課題であり、対外的には悪化する対米関係の対策が急務である。だがこのような直近の問題とは別に、社会主義中国が内包する「根源的な問題」があることも事実なのである。中国が貧困国を脱し、中進国への仲間入りを果たそうとしている今、これまで華々しい経済発展の下で埋もれてきたこれらの問題が徐々に表面化している。それは、ひと事で言えば「社会主義とは何か?」なのである。
注1:製造業のハイテク化、新産業の創出を通じ、2049年の建国100周年までに世界の製造業のトップに立つという計画。
注2:「共同富裕」を実現するため、分配の不平等、格差の縮小を目指し、提起された政策。第1の分配は「給与所得」(公務員や会社員など)と「正当な利益」(自営業者など)。第2の分配は「税制改革」で、贈与税、相続税などの導入、累進課税などの強化による格差縮小。第3の分配は高利益を上げた企業と富裕層の、利益の還元による「社会貢献」(寄付)。(止)
西園寺一晃 2024年7月30日