中国レポート  No.98 2023年9月

ここに来て若干沈静化した感があるが、最近北京っ子の話題はもっぱら福島のALPS処理水の海洋排出問題である。中国の報道は「核汚染水」であり、日本の報道は「処理水」であるが、筆者は「核汚染処理水」が妥当だと思う。それはさておき、北京の一般の人は、海が汚染され海産物を食べるのが怖いと言う。海産物が売れなくなり、海鮮を売りにしているレストランは閑古鳥が鳴いている。最も困っているのは日本式居酒屋で、中国の禁輸で日本から海鮮の食材が入らず、客が消えた。日本では漁業関係者、海産物輸出業者の苦境が大きく報じられているが、実は最も大きな被害を受けているのは中国の漁業関係者と海鮮料理を出す飲食店である。中国人は本来肉食中心だが、近年はヘルシーで美味な海鮮が脚光を浴び、特に日本産のホタテ、ナマコ、マグロ、カニなどは高くても人気だった。多くの人はALPS処理水の海洋排出、イコール海洋汚染、イコール海産物は食べるのが怖いという認識だ。日本産であれ、中国産であれ、ほとんどの人が海産物を食べなくなった。日中双方にはそれぞれ言い分があるが、本来この問題は科学の問題であり、政治問題ではない。もっと日中双方の科学者が発言すべきである。原発事故を起こしたのは日本であり、初期の段階では確かに制御不能な核汚染物質が垂れ流し状態だった。日本政府は謙虚な態度で、誠意を以て近隣諸国に説明をしたのであろうか。また中韓などの近隣諸国は、感情論ではなく科学論でこの問題に冷静に対処すべきである。

さて中国経済だが、去る7月、北京で2つの重要会議が開かれた。1つは、14日の中国共産党中央(党中央)と国務院の共同会議(以下共同会議)、もう1つは24日の「中国共産党中央政治局会議」(以下党政治局会議)である。前者は「民営企業の発展と民営経済発展促進」がテーマであり、後者の主な議題は当面の経済対策である。

共同会議では、民営経済を大いに発展させるため、「市場参入障壁の持続的除去」、「公平な競争政策制度の全面的実行」、「民営企業の財産権と企業家の権益の、法に基づく保護」など、計38項目の「意見」が提起された。「改革開放」以来、民営企業を発展させるのが経済政策の1つの柱となった事もあり、民営企業は急速に発展し、中国経済が高度成長する上で大きな役割を果たした。特にIT関係の民営企業の発展は目覚ましく、中国経済全体に大きな影響を及ぼすほどになった。その一方で、国営企業はそれまで「計画経済の下で胡坐をかく」状況が長く続いたので、合理性と競争力に欠け、抜本的な改革が迫られた。国営企業の改革はなお途上であるが、習近平体制になり「社会主義であるので、国営企業が中心」という原則が確認、強調され、「国進民退」(国営企業は存在感を増し、民営企業は後退)という状況が現れた。コロナ後、経済の復興が思うように進まない中で、民営企業の役割を再認識し、大いに活用しようというのが今回の「意見」である。しかし民営企業と国営企業の関係については、「歯止め」がかけられている。それは習近平が打ち出した「2つの少しも揺るがず」原則の堅持(公有制経済を強固なものにし発展させ、非公有制経済の発展を奨励、支持、誘導する)であり、あくまで国営企業を基本、中心に据えるという事だ。民営企業については、発展させる一方で、政府の関与と指導(誘導する)が強化される。党中央と国務院、つまり党と政府の最高機関の「意見」は事実上の「命令」であり、すべての経済機関は、この「意見」に沿って経済政策を策定し、実行しなければならない。

党政治局会議では、2つの事が決定された。①内需拡大に向け、消費を促進させる。②不動産政策を適時調整、最適化し、不動産市場の正常化をはかる。当然これらの課題に関連する諸問題―若年層の失業問題、製造業の回復問題、地方政府の債務問題なども議論されたはずだ。党の最高会議で、当面の具体的課題が討議されたことは、最高指導部が現在の経済状況に危機感を抱いているという事である。

以上2つの会議開催が、今の中国経済の現状を物語っている。ここ数年、日本などでは、中国経済の低迷は米国による「中国経済封じ込め」と「ゼロコロナ」政策によるものだと言われてきた。ところが少なくともコロナ期間の数字で見る限り、米中対立はそれほど中国経済に大きなダメージを与えていない。経済低迷の主要な原因は「ゼロコロナ」政策である。3年間に渡り、「ゼロコロナ」政策の下、大都市のロックダウン、半ロックダウンが行われ、中国のサプライチェーンは大混乱に陥った。「ゼロコロナ」政策が完全に解除されたのは2022年12月である。「ゼロコロナ」政策解除で、人々は何年かぶりで街に繰り出し、自由を満喫した。繁華街は人の波、レストランはどこも満員、遊園地なども親子連れで溢れた。自宅待機だった工場労働者も一斉に職場に戻った。この状況を見て、経済学者を含む多くの人は、これで中国経済は一気に正常化するであろうと思った。筆者も、若干の紆余曲折はあろうが、今年の中国経済は基本的に右肩上がりの回復をするであろうと考えた。しかしこの予測は甘かった。中国のような大国の、複雑に絡み合ったサプライチェーンの修復と正常化は一朝一夕には成らない。従って、中国経済の復興と正常化が一気に進む事は不可能なのだ。中国の政府系シンクタンク「中国国際経済交流センター」の張燕生主席研究員は、中国経済の正常化には少なくとも3年かかると言明している。さらに「米中対立」(米国の対中経済封鎖)は、ボディブローのように効いてきている。米国とて中国経済を完全に排除する事は不可能だが、中国にとっては、米国の封じ込めをどう突破するかに大きなエネルギーを使わなければならない。

今年第1四半期(1-3月)の実質GDP成長率は前年同期比+4.5%だった。今年通年の目標は対前年比+5.0%だ。第1四半期のこの+4.5%の数字は、「ゼロコロナ」解除直後としてはまあまあだと思われた。第2四半期(4-6月)は同+6.3%。上半期(1-6月)の成長率は同+5.5%あった。この数字を見て、多くの人は、今後成長は加速度的に進むと考えた。確かに「ゼロコロナ」政策廃止後、中国経済は全体として回復基調には乗っていると言える。ところが内訳を見ると、決して楽観できないのだ。

先ず第1に、これまで中国の成長をけん引してきた貿易が、輸出入ともなかなか上向かない事である。輸出について言えば、3月は前年同月比+14.8%、4月同+8.5%だったが、5月からマイナスに転じた。5月は同―7.5%、6月同-12.4%、7月同-14.5%、8月同-8.8%。輸入は、3月同-1.4%、4月同-7.9%、5月同-4.5%、6月同-6.8%、7月同-12.4%、8月同-7.3%だった。対米国、EU、ASEAN、韓国、日本など、中国の主な貿易相手国・地域との輸出入はどれも不調だ。もちろん輸出入の推移は、世界経済の動向に左右される。中国だけの要因ではないが、外需の収縮と共に内需の低迷が主な原因である。

第2に、中国のGDPの約3割を占める不動産関連市場の大幅な落ち込みである。1-8月の不動産開発投資額は同-8.8%、住宅販売面積は同-7.1%だった。この問題に関連し、中国では専門家の間で「中国経済の日本化」がささやかれている。1990年代の「バブル」崩壊前夜の日本の状況に似ているというのだ。あの時期、バブル状態にあった日本経済は全面的に崩れた。そして日本経済は「失われた10年、20年、30年」に突入する。バブル崩壊が集中的に表れたのは株式、金融と不動産であった。地価、株価は暴落し、金融は大混乱した。その結果金融再編が起き、都市銀行などは吸収、合併を繰り返し、現在の「3大メガバンク」体制が出現した。当時日本のバブル崩壊の引き金になったのは地価と株価の暴落であった。中国の状況は当時の日本と完全に同じではないが、似ている面が多いと言う経済学者は多い。多くの経済学者は「日本経済のバブル崩壊の研究」を行っている。不動産不況で中国の大手不動産会社が苦戦し、幾つかは危機的状況にある。例えば「中国恒大集団」の危機的状況は多く報道されているが、大手不動産開発会社の「融創中国控股」は9月19日、米国で連邦破産法15条の適用を申請した。不動産最大手の「碧桂園控股」も大苦境に陥っていて、今年上半期(1-6月)の連結最終損益は489億元の赤字、6月末の負債総額は1兆3642億元である。政府は住宅取得に対する補助金、不動産会社に対する低利融資や返済の延期などさまざまな支援策、刺激策を打ちだしているが、依然改善の兆候は表れていない。不動産市場が活性化しないと、中国経済全体の正常化は期待通り進まないであろう。

第3は、経済の落ち込みに伴う雇用の悪化である。これは政府が最も気を使っている問題だ。というのは、雇用は単なる経済問題ではなく、社会治安に関わるデリケートな問題だからである。特に若年層の失業率が異常に高いのは、政府にとって頭の痛い問題である。今年に入り、全体の失業率(都市部)は5%台に留まっているが、若年層(16-24歳)に限れば、1-6月の各月は以下の通りである。17.3%―18.1%-19.6%―20.4%―21.3%と少しずつ悪化している。7月は1158万人の大卒者が労働市場に加わるので、数字はさらに悪化したはずだ。政府は、社会不安を煽ることになるのを恐れてか、7月以降の数字を公表しなくなった。中国も少子化傾向だが、生活レベルの向上で、大学進学率が上がり、大卒者が年々増えている。2013年の大卒者数は699万人だったが、10年で65.7%増えた。経済が好調なら大卒者増加はよい事だが、不況下では失業者が増えるばかりである。この問題の解決法は1つしかない。それはなるべく早く経済を正常化させ、中国経済をバランスの良い成長に戻すことだ。

消費は回復基調にありながら、回復速度は不安定だ。1-6月の「社会消費品小売総額」は、前年同期比+8.2%だった。7月は同+2.5%と足踏みした。ただ良い兆しは、8月には同+4.6%と上向きになった事だ。夏休みの旅行や外食が伸びたのが原因だ。特に小売総額の約1割強を占める飲食が同+12.4%と伸びた。化粧品類が同+9.7%だった。一方で耐久消費品は同−2.9%だった。8月の新車販売台数は同+8.4%だった。

中国では、新車販売は「4大消費」(家電、家具、食品飲食、新車)の1つであり、消費のバロメーターと言われる。直近の新車販売状況は、6月が前年同月比+4.8%の262.2万台、7月は同-1.4%の238.7万台、8月は同+8.4%の258.2万台だった。1-8月は同+8.0%の1821.0万台。NEV車は依然好調で、8月単月は同+27.0%の84.6万台、1-8月は同+39.2%の537.4万台だった。新車の国内販売は、上向きながらジグザグで安定性に欠けるが、輸出は絶好調を維持していて、今年は日本を抜いて世界一になるのは確実だ。8月単月の輸出は同+32.1%の40.8万台、1-8月は同+61.9%の294.1%だった。この内NEV車は同+110、0%の72.7万台だった。

中国経済が苦境にあるのは事実だ。しかしこれを以て日本の一部の評論家が言う「中国経済崩壊」論は馬鹿げた議論だ。非製造業における消費の伸びやEV車、自動車輸出の好調さもそうだが、中国経済が基本的に大きな潜在力を有しているのは事実であるし、政府も将来を見据えた有効な投資を行っていて、すでに効果は出ている。例えば、豪のシンクタンクである「豪戦略政策研究所」(ASPI)が最近公表した「先端技術研究の国別競争力ランキング」によると、人口知能(AI)、水中ドローン、極超音速、量子など23先端分野のうち、19分野で中国がトップにランクされた。また科学技術の高レベル論文でも、中国は目覚ましい躍進をしている。「科学技術指標2023」(日本の文科省科学技術・学術政策研究所)によると、自然科学分野で国際的に注目される引用回数「トップ10%補正論文数」で、中国は世界ランキング1位で、論文数は5万4405本、2位米国の3万6208本を大きく上回った。因みに3位の英国は8878本、日本は韓国、スペイン、イランより下の13位(3767本)だった。これは中国が将来先端科学で世界のトップに立つ可能性があるという事だ。それは中国経済の新たな質的発展をもたらすばかりでなく、軍事力でも米国を凌駕する可能性があるという事だ。米国が「中国製造2025」計画に警戒心を募らせ、なりふり構わず中国経済の発展、ハイテク産業の発展を阻止しようとしているのは、正にこのような状況を憂慮しての事だ。中国経済を見る場合、当面の現実問題と同時に将来に向けた可能性も、客観的、冷静に見なければ、本当の中国を理解する事は出来ない。(2023年9月26日)(止)