No.53 中国レポート

3月5日から15日まで、北京で全国人民代表大会(全人代)が開催された。今年は第13次5ヵ年計画の初年度に当たり、2020年まで続く。この5年間は、中国政府の国民に対する「2020年の実質所得を2010年の2倍にする」という公約の、後半の5年間でもある。2010年時点での計算では、2011年から2020年までの10年間の平均成長率が7.2%であれば、この中国版所得倍増計画は達成することができる。2011年から2015年までの第12次5ヵ年計画期間中の平均成長率は7.8%であったので、今後5年間の平均成長率が6.5%であれば、所得倍増は達成できる。
中国政府としては、何としてでも6.5%以上の成長は確保し、国民への公約は実現したいところである。全人代の「政府活動報告」の中で李克強首相は今年の成長目標を6.5%-7.0%とした。近年このような幅を持たせた成長目標設定は初めてである。恐らく6.5%では弱気ととられ、7・0%では自信が持てないということであろう。国民の多くはこの数値設定に納得している。要は「最低でも生活レベルを下げない」ことであり、安定成長を図り、「引き続き生活を向上させる」ことが国民の願いであるからだ。
この6.5%-7.0%という成長目標について、何人かの中国の経済専門家に聞いてみた。多数意見は「そう簡単ではないが、6.5%以上は実現できる」と見ている。しかし中には「6.5%成長は難しい」とする専門家もいた。またある専門家は、成長率の低下は構造的な問題で、いまの構造を変えない限り成長率はまだ低下し、6.0%を切ることもありうると言っていた。
別の意見もあった。ある専門家は「現在の中国経済を考えれば、目先の事より長期的観点を持つべきだ」と言い、「当面は成長率を犠牲にして国民に痛みを与えても、大胆な経済の構造改革を推進すべきだ」と強調していた。もしかしたらこれは正論かもしれない。しかし、中国政府はそこまで決断はできないだろう。それは①過度な「痛み」を与えると、国民の中に溜まっている様々な不満が一気に噴出する可能性があり、経済問題が政治問題化し、政府が一番恐れる治安の悪化につながりかねない。②来年は第19回党大会が開かれる年で、習近平体制の最後の5年間のスタートの年でもある。最高指導部の大幅な入れ替え(トップ7人中、習近平、李克強以外の5人は引退)も行われる。成長目標を達成して「晴れやかに党大会を迎える」のが至上命令だ。
では政府は自国の経済をどう見ているのだろう。全人代における李克強首相の報告は、当面の中国経済について次のように述べている。
「昨年のわが国の輸出入総額は減少し、予定の成長目標は達成できなかった。投資の伸びの力が弱く、一部の産業の生産能力過剰が深刻で、一部の企業の生産・経営は困難を抱え、地域と業界により状況が分かれ、財政収支の矛盾が際立ち、金融などの分野に潜在的リスクが存在している」。そう楽観的ではないことがわかる。
その一方で李克強首相は、第12次5ヵ年計画の主要目標は達成し、構造改革も進展しつつあり、中国経済は「想定内の状況」にあり、ソフトランディングは十分可能だと自信をみせた。中国の首脳は、米国の有名な投資家ジョージ・ソロス氏が2016年1月に「中国経済のハードランディングは不可避」と述べたことにショックを受けたようだ。それまでのソロス氏は、中国経済に大きな関心を持ち、どちらかというと「親中派」と見られていたからだ。ソロス氏の「中国経済のハードランディングは不可避」という部分の発言が世界を駆けめぐったが、発言全体を見ると、次のようにも述べている。「中国には豊富な資源と3兆ドルの外貨準備があるので、正しく対処すれば中国経済のソフトランディングは可能である」。
経済専門家の中では、一定の成長率は維持しなければならないが、同時に経済構造改革はこれからの中国経済にとって不可欠だという考え方では一致している。ところが重点の置き方により、明らかに2つの考え方がある。1つは大胆な金融緩和、財政出動などを行い、早急に経済減速の下支えをすべきだという「金融緩和・経済刺激」派、もう1つは、ある程度の痛みを伴っても、我慢して構造改革を加速させるべきだという「構造改革」派だ。今の中国はこのどちらも必要であり、政府の舵取りは難しい。今のところ「構造改革派」が優勢で、習近平指導部も構造改革優先の立場をとっている。しかし重要な時点では小規模な金融緩和を行い、財政出動も小出しに行っている。李克強首相も「構造改革は断固行うが、必要な景気刺激策も行う」と明言し、中国人民銀行の周小川総裁も「適度な金融政策は必要だが、過度な金融緩和は不要」と述べた。
ともあれ、中国経済が大きな試練に見舞われているのは紛れもない事実である。それを「構造的欠陥」と呼ぶのか、「高度成長のツケ」と呼ぶのか、あるいは「中進国のワナ」と呼ぶのかは別として、正しく、着実に解決に向け着手しないと、常にハードランディングの危険が付きまとう。
中国の習近平指導部はすでに数年前から「経済構造の転換」の必要性に気づき、着手してきた。「反腐敗闘争」は、経済構造の転換に対する「抵抗勢力」の排除という側面を持つ。現構造にしがみついて甘い汁を吸ってきた地位の高い既得権益者は、現構造を変えられるのは困るわけである。習近平指導部が、鉄道省を解体し、石油閥、石炭閥などに切り込み、党、政、軍の腐敗幹部を血祭りに上げたのは、構造改革の地ならしという意味がある。
抵抗勢力と言えば、経済の構造改革を断行する上で避けて通れないのは「国営企業改革」である。基幹産業を握り、膨大な権益を独占し、政治権力と密接な関係にある国営企業は、高度成長期の最大の既得権益者であり、構造改革の最大の抵抗勢力でもある。国営企業が政治権力と結びついているだけに、ここにメスを入れるとなると、必ず権力闘争が絡んでくる。それでも習近平・李克強体制は国営企業に切り込めるのか。今後の見どころの1つであるが、全人代における李克強演説を見る限り、断行の決意が読み取れる。
「国有企業の改革推進に力を入れる。今年と来年の2年間は、改革によって発展を促進し、国有企業の質・効率向上の堅塁攻略戦に断固として取り組まなければならない。国有企業、特に中央企業の構造調整を推進し、一部を革新・増強し、一部を再編・統合し、一部を整理し撤退させる」。
具体的な当面の課題の1つは、鉄鋼や石炭、セメントなど分野の過剰生産能力問題。中国政府によると、鉄鋼、石炭業界では180万人の余剰人員を抱えており、造船、セメント、ガラスなどを含めると500万人から600万人のレイオフ者が出る可能性がある。これら人員の職業訓練、再配置のため、政府は巨額の特別資金を拠出するとしている。もう1つは不動産の過剰な在庫処理問題。さらに地方政府、企業や個人が抱える過剰債務問題だろう。また、資本逃避(キャピタルフライト)も中国にとっては頭の痛い問題である。米国の金融政策の転換も、中国にとってはジレンマだ。第1の輸出相手国としての米国経済の復活は、中国にとって順風であるが、米国の金融量的緩和政策の転換は、中国にとって逆風となる。これまで中国に流れ込んでいたマネーが、米国に還流し、資本逃避が起きるからだ。
これらの問題を処理する上で、明るい材料もある。1つは、ジョージ・ソロス氏が言うように、何といっても3兆ドルを超える膨大な外貨準備は大きな武器である。2015年末の外貨準備は、対前年比で5127億ドル減少したが、それでも3兆3304億ドルあり、これは世界の外貨準備総額の4分の1強に当たる。この外貨準備をバックに、中国はAIIBを設立し、対外投資を着実に増やしている。膨らんだ生産力を海外で利用するという側面を持つ「一帯一路」(新シルクロード経済圏)」構想も、膨大な外貨準備あってこそのものだ。また「李克強経済学」(リコノミクス)の重要な内容である、内陸部農村地域の「都市化」も着実に進展している。内陸部の新しい中小都市間を鉄道(高速鉄道を含む)と高速道路で結び、流通革命を起こし、経済効果を生み出す構想はすでに現実化し、これから徐々に効果が出てくるだろう。これらの中小都市は農村の過剰人口を吸収し、工業とサービス業を起こす。すでに都市と農村の人口比率は逆転した。今後人口の「都増農減」は更に進むだろう。製造業の苦戦は続いているが、サービス業は大きな勢いで伸びている。2015年、対GDP比で第3次産業は初めて50%を超えた。食糧生産の安定、消費の堅調、現時点での雇用安定も良い材料である。
考えてみると、「中国経済の減速」が大きく取沙汰されるが、6.0%-7.0%の成長は、高度成長時代の2ケタに比べたら確かに減速だが、世界ではかなり高い方である。新興工業国として注目された「BRICS」だが、ロシアとブラジルはマイナス成長になった。2020年まで6.5%成長が維持され、その後も6.0%前後が続けば、2020年―2030年にはGDP総額で米国を抜き、世界第1の経済規模になるだろう。ともあれ、繰り返しになるが問題は構造改革であり、中国経済の前途はこの構造改革の成否にかかっている。(止)