北京の春は短い。寒い冬が終わると「百花斉放」の春になるが、5月も後半になると一気に初夏に突入する。
5月と言えば「労働節連休」(メーデー連休)だ。中国には大型連休が3つある。春節(旧正月)連休(今年は1月28日―2月4日)、労働節(メーデー)連休(同5月1日―5月5日)、国慶節(建国記念日)連休(同10月1日―10月8日)だ。連休は、地方から出てきている人は里帰りし、北京の人たちは旅行や娯楽を楽しむ。全国的には「民族大移動」が起きる。経済的には、消費が急増する時期で、内需拡大を目指している政府の期待は大きい。中国政府の発表によると、今年の労働節連休5日間に移動した人は延べ14億6594万人に達した(対前年同期比+7.9%)。うち鉄道利用が1億170万人(同+10.8%)、船舶利用が861万人(同+23.8%)、航空機利用が1115万人(同+11.8%)で計1億2146万人、車で移動した人は13億4448万人だった。この内純粋な国内観光旅行者数は延べ3億1400万人で、消費額は1669億元だった。消費額はコロナ前の2019年に比べ+13.5%だが、1人当たりの支出額は2019年に比べ-11.5%だった。旅行する人は増えたが、節約型旅行だったという事だろう。旅行者が減るほど経済は落ち込んではいないが、財布の紐はまだ緩んでいない。今年の国内旅行の特徴は、比較的安上がりな家族ドライブ旅行が増えた事、そしてペット同伴可のホテル予約が対前年比3割多くなった事だ。都市部の犬猫ペットブームはますます盛んになっている。もう1つの特徴は、これまで観光旅行の主力を成していたのは、北京や上海といった大都市の比較的裕福な人々(中産階級以上)だったが、今年の傾向を見ると、旅行者の構造が変わりつつある。それは教育費や医療費、さらに住宅ローンを抱えた大都市住民に替わり、旅行の主体になりつつあるのが地方都市住民、就業前大学生、退職後の高齢者である事だ。この層は時間的に余裕があり、自由に使える金が比較的豊富だ。
海外旅行も対前年同期比+21%と増え、延べ577万8000人だった。中国のネット旅行サイトCtripによると、旅行先で人気があったのは日本、タイ、韓国、マレーシア、シンガポール、ベトナムなど距離的に近く、費用も比較的安いアジアが多かった。日本の円安は中国人旅行者にとっても大いに魅力的だ。米国、イタリア、オーストラリアなども依然として人気は高い。その一方で、リピーターを中心に「珍しい国」への興味が急上昇していると言う。旅行先で、対前年比2桁、3桁増加したのはラオス、モロッコ、セルビア、ネパール、ウズベキスタン、カタール、コスタリカなどで、カタールは前年の7倍、コスタリカは同6.5倍となった。
日本では米中対立や、不動産バブルの崩壊、一部地方政府の財政危機、若年層の失業率の高止まりなどで、中国経済は「崩壊寸前」だと言う評論家もいるが、今年の春節連休、労働節連休の庶民の動きを見ると、そんな危機的状況にはない事が分かる。
では中国経済の実体はどうであろう。昨年は経済分野で悪い分野、良い分野で大きな差が出たが、全体としてGDP成長率は政府の目標であった+5.0をかろうじてクリアした。以下、2025年第1四半期(1月―3月)の主な経済指標を見てみよう。数字は対前年同期比である。
・GDP成長率 +5.4%
・工業生産増加伸び率 +6.5%
・固定資産投資伸び率 +4.2%
内 民間投資 +0.4%
インフラ投資 +5.8%
不動産投資 -9.9%
・社会消費品小売総額伸び率 +4.6%
ネット商品小売額伸び率 +5.7%
・消費者物価上昇率 -0.1%
・都市失業率 5.3%
若年層失業率(16歳―24歳)
1月 16.1% 2月 16.9% 3月 16.5%
・貿易関係
総額 +0.2%
輸出 +5.8%
輸入 -7.0%
貿易収支 +2730億ドル
以上の数字から見えてくるのは、基本的に昨年の状況を引きずっている事である。深刻な面は、不動産市場の落ち込みが止まらない事と、社会消費品小売総額は増えているが、GDP伸び率には追いつかず、物価上昇率はマイナスとなった事だ。デフレ傾向は改善されていない。その一方で、工業生産は健闘している。これは主としてEVを中心とする自動車、ITなどハイテク産業の好調維持によるものだ。つまり少なくとも2025年の第1四半期に限って言えば、前年の状況がそのまま続いているという事である。
さて、われわれは中国経済と言うと、米中経済戦争、不動産不況などを思い浮かべるが、それは当面の問題である。中国経済の本当の深刻さは、急速に進む「少子高齢化」にある。これは多くの先進国が抱える共通の問題だが、中国は1980年代以降の急速な経済成長の中でこの問題が一気に噴出した。中国の指導部にとってこれは全く想定外の問題であった。それまで中国の問題は、貧しい中においての人口の爆発であった。経済成長期に入ると、人口の爆発はさらに進み、経済の成長分は全て増えた人口に食われてしまうという現象が起きた。そこで中国政府が採ったのは「1人っ子」政策である。強制的な1人っ子政策を採れば、将来人口構造の不均衡、労働力不足などの問題が起きる事を承知の上で、中国政府は敢えてこの政策を採らざるを得なかったのである。1人っ子政策の期間だけ見ると、この政策は効果を挙げた。人口の爆発を抑制し、経済の発展が国民の豊かさに結びついた。しかしこの政策の負の部分、ツケが顕著に出てきたのである。中国政府は簡単に考えていたふしがある。人口が抑制され、労働人口の不足という事態が想定されるようになれば、1人っ子政策を止めれば良い。また経済が発展し、人々が豊かになり、基本的な生活が安定すれば、皆安心して子供を産めるようになり、人口問題は解決すると。しかし社会構造の変化は、人々の意識構造を変えた。特に都市部では結婚しない、子供を産まない、子供は1人で充分という意識が広がっていった。1人っ子政策は1979年に始まり2014年まで続いた。1人っ子政策は効果を発揮したが、問題は中国の人口問題が人口の爆発から人口の減少へと移ったのである。中国では10年に1度国勢調査を実施する。2020年の国勢調査の結果に中国指導部は衝撃を受けた。人口の減少傾向が顕著に現れたのである。全国290余の都市の約4割以上で、10年前と比べ人口が減少していたのだ。政府は2015年から2021年まで「2人っ子」政策を採った。しかし人口の減少傾向を止める事が出来ず、2022年以降は「3人っ子」政策を採用した。それでも人口の減少傾向は止まらなかった。この少子化現象と同時に「高齢化」が進んだ。経済の発展、生活の向上、医学の進歩などで寿命が延びるのは当然である。一方で少子化が進み、もう一方で高齢化が進めば、人口のバランスは崩れる。福祉の財源を支える現役労働者が減り、年金を受領し、福祉サービスを受ける高齢者が増える。当然福祉の財源不足という現象が起きる。
私の友人は北京政府の要職にあったが、今は退職して悠々自適の生活を送っている。68歳である。常日頃今の生活はまずまずで、贅沢をしなければ老夫婦2人穏やかに老後を過ごせると言っていた。唯一の不満は一人っ子世代の30歳を過ぎた息子が結婚しない事で、早く孫の顔が見たいとぼやいていた。その公務員の息子がやっと35歳を過ぎた時パートナーを見つけ結婚した。相手は北京の名門大学を出て、米国に留学し学位をとった才媛で、今は北京の外資系企業に勤めている。中国では国家公務員はエリートで、公務員の国家試験は筆記試験と、筆記試験に通った者は口頭試験(面接)がある。因みに2025年採用の国家公務員試験には341.6万人が応募した。平均競争率は86倍だが、外交官など職種によっては1万6000倍だった。とにかく私の友人は、息子が公務員で、嫁が留学帰りのエリート、外資系に勤めているので全く不満はない。ところが幸せいっぱいの彼が愚痴を言いに来た。せっかく息子が良い嫁を貰い、やっと孫を抱けると思ったのに、息子夫婦は「子供は要らない、作らない」と言い出したらしい。老夫婦は大ショックなのだ。どうして子供を作らないのかと聞くと、今のご時世子供にエリートの道を進ませるためには、良い小学校、良い中高学校を出て、良い大学に進ませなければならない、留学も視野に入れなければならない。費用も含めその苦労を考えると大変だ、また今は共働きで裕福な生活ができるが、子供が出来れば妻は仕事を止めなければならなくなり、一気に収入は半減し出費は嵩む。それよりも、今の生活レベルを維持し、人生を謳歌した方が良いと言うらしい。北京の若者は結婚すらしたくないというのが少なくない。極端なのが最近話題となり、増えている「躺平族」(寝そべり族)である。この人たちのライフスタイルは「不買房、不買車、不談恋愛、不結婚、不生娃、低水準消費」(家を買わない、車を買わない、恋愛をしない、結婚をしない、子供を作らない、低レベル消費の生活をする)。この人たちのポリシーは「資本家に利用されず、資本家に搾取される資本家の奴隷になる事を拒否する」である。まさに思考は市場経済社会の反逆者であるが、特に過激な政治的行動を取るわけではない。
国務院民生部の発表によると、2024年の全国婚姻数は610.6万組で、対前年比157.4万組の減であった。統計が存在する1985年以降最低の数字である。婚姻数は2013年の1346.9万組をピークに減少を続け、10年後の2022年にはほぼ半減した(2023年はゼロコロナ政策の撤廃で、それまで待機状態にあった若者が一斉に結婚したので一時的に増加した)。
ここ数年人口の減少は顕著で、2023年には総人口で世界1位の座をインドに譲った(インド14億2860万人、中国14億2570万人)。ここ数年の出生数を見ると、2020年が1203万人、2021年が1062万人、2022年が956万人、2023年が902万人と減少し続けた。2024年はゼロコロナ明けの結婚の増加と出産で954万人と前年より52万人増えたが、それでも死亡数の方が多かったので、人口減少は止まらなかった。人口が減少するに伴い労働人口が減り、さらに平均寿命が延び高齢化が進むので、社会構造が変わり様々な問題が噴出する。
政府の見通しでは、2023年から10年後の2033年に次のような人口構造の変化が起きる。2023年の時点で、65歳以上の割合は14.3%、15歳未満の割合は16.8%、現役世代の割合は68.9%である。それが10年後の2033年には65歳以上が20.7%、15歳未満が11.5%、現役世代が67.8%になる。15歳未満が11.5%にまで減るという事は、近い将来労働人口が減り、高齢者は増えるという事である。支える方が減り、支えられる方が増える、つまり現役世代の負担が増え続けるのだ。
ただこの問題は中国だけの問題ではなく、多くの先進国が抱える問題だ。
「高齢化」社会には定義がある。国連の定義は、65歳以上の人口の総人口に占める割合が7%を超えると「高齢化社会」、同14%を超えると「高齢社会」、同21%を超えると「超高齢化社会」と呼ぶ。この基準で2023年末時点での、各国の65歳以上人口の割合を見ると、以下のようになる。(出所「GLOBAL NOTE」
1位 モナコ 36.36%
2位 日本 29.56%
3位 プエルトリコ 24.24%
4位 イタリア 24.22%
9位 ドイツ 22.79%
42位 韓国 18.34%
48位 米国 17.43%
53位 ロシア 16.60
68位 中国 14.32%
このように、中国の高齢化はまだ世界のトップクラスではないが、問題はこれまで高齢化社会に突入するのは経済が発展した中進国以上の国であり、それらの国は基本的に年金、医療、教育、介護などの福祉がある程度充実している。つまり予測し、準備した上で高齢化社会の到来を迎えたのだ。ところが中国は発展途上国のまま高齢化が急速に進み、福祉が遅れたままの状態で高齢化に突入したのである。
人口全体に占める60歳以上の割合がどう推移するかを見ると、日本の場合は1966年に10%になり、その後20%を超えるのに28年かかった。そこから30%を超えるのに15年かかり、40%を超えるのに25年かかると予想されている。一方中国は、2000年に10%となり、20%を超えるのに24年かかった。30%を超えるのに11年、40%を超えるのに17年かかると予想されている。かなりなスピードである。国連が2024年に発表した「世界人口推計2024」によると、中国の合計特殊出生率の見通しは、2023年の1.00を底に、2054年1.20,2100年1.35と一貫して1.4を割り込むと予想する。国連は合計特殊出生率1.4未満を「超少子化」と定義している。なおこの国連推計によると、中国の65歳以上の人口の割合は2024年が14.7%、2054年が34.0%、2100年が45.8%と予測している。最近中国は定年の延長を決めたが、その理由の1つは、年金支給を遅らせるためである。中国の公的年金保険の1つである「都市職工基本年金保険基金」は、2035年までに残高がマイナスに転じると言われている。
また、高齢化が進む中で直面するのは介護問題である。ところが今現在中国には全国一律の介護制度がない。資格を持った介護士は居ない。老人ホームはあるが、低所得層が入れるホームは需要に比べとても足りない。従って要介護の老人を抱える人は、家族で介護するか、あるいは「護士」と呼ばれる介護人を雇うかだ。介護人と言っても資格を持っているわけではなく、多くは農村から都市に出稼ぎに出てきた人で、老人の生活全般の世話をしてくれるが、介護の知識も医学、栄養学の知識もない。経済的に余裕のある人は住み込みの「護士」を雇うが、低所得者はそんな余裕はない。
中国の社会や経済を考える場合、表面上の問題と同時に、根底に存在する「少子高齢化」問題を避けて通る事は出来ない。(止)
西園寺一晃 2025年5月23日