北京の空港はこれまで2つあった。「北京南苑空港」(軍民共用、1910年開港)と「北京首都国際空港」(1958年開港、その後大規模拡張)だ。JALもANAもこれまで北京首都国際空港を利用していた。ところが2014年、主力空港である北京首都空港の利用者が8613万人となり、処理能力が限界となった。そこで新空港を建設する事になったのである。総工費は140億ドルと言われる。2019年9月、盛大な開港式が行われ、習近平も参列した。ところが間の悪い事に、完成して 北京の主な話題は依然として新型コロナと対米摩擦である。中国は新型コロナをほぼ克服したが、まだ完全に終息したわけではない。ただ新型コロナからの解放感は急速に拡大し、街の活気も戻ってきた。
それに比べ、対米摩擦はエスカレートするばかりだ。新型コロナと対米摩擦で一番打撃を受けたのは経済だが、その経済も依然不安定ながら、回復軌道には乗りつつある。今年の第1四半期のGDP成長率は-8.6%だったが、第2四半期では+3.2%まで戻した。日米欧はじめ、主な国はマイナス成長に喘いでいて、今年は通年でもマイナス成長はほぼ確定的である。その中にあって、中国経済はプラスになる可能性が大だ。
国際機関の予測でも、中国の2020年成長率は、世界銀行(6月8日発表)が+1.0%、国際通貨基金(IMF・6月24日発表)が+1.0%、経済協力開発機構(OECD・9月16日発表)が+1.8%である。しかし中国の専門家の間では強気の予測が多い。それは、今年の第2四半期の数字+3.2%で、内外の予測を大幅に上回ったからだ。通年では2.0%を超え、3.0%に迫る成長という意見が多い。近く出る第3四半期の数字を注目すべきだが、恐らく通年で世界銀行、IMF、OECDの予測を上回る事は間違いないだろう。因みに上記の国際機関の、米国の通年成長率予測は、-6.1%、-8.0%、-3.8%であり、日本は-6.1%、-5.8%、-5.8%である。
さて、どの国も最大の課題は経済の回復だが、われわれが中国経済、米中摩擦の動向に気をとられている中、中国で世界の力関係を変えるかもしれない大きな変化が、今まさに起きつつある。それは宇宙開発分野における中国の飛躍的発展である。これまでこの分野は、かつての米ソ、現在の米ロが大きくリードしていたが、ここにきて米ロに中国を加え、世界「3強」体制が確立されつつある。
2020年5月、中国国営通信社「新華社」が配信したニュースを、宇宙専門家以外、誰が注目しただろうか。新華社は「中国共産党中央、国務院、中央軍事委員会は連名で運搬ロケット長征5号Bの打ち上げ成功に祝電を送った」と報じた。専門家によると、この長征5号Bの打ち上げは、次世代有人飛行船、宇宙ステーション建設計画を大きく前進させる画期的なもので、恒久的な宇宙ステーションの建設及び宇宙飛行士を月に送り込むために大きな道を開いた。同じく新華社は7月31日、「中国共産党中央、国務院、中央軍事委員会は、北斗3号打ち上げ成功に対し祝電を送った」と報じた。これも世界ではさして大きなニュースにはならなかった。この北斗3号の打ち上げは、中国独自の衛星測位システム計画である「北斗衛星導航系統」を構成する35基の衛星のうちの最後のもので、これで「北斗導航系統」計画は完成した。これは中国が、米軍が運用する「全地球測位システム」(GPS)依存から脱却し、独自の測位システムを確立した事を意味する。
遡る事昨年1月、世界は大きな衝撃を受けた。中国の宇宙観測衛星「嫦娥4号」が月の裏側に着陸したのである。これは月面探査史上初の快挙であった。嫦娥4号と、同機に搭載された探査ローバー「玉兎2号」には幾つかの観測機器が搭載されている。着陸用カメラ(LCAM)、全方位カメラ(TCAM)、低周波分光器(LFS)、中性子線量計(LND)、生態圏実験室(LME)。実験室ではポテト、トマト、シロイヌナズナの植物が栽培され、蚕の卵が飼育されることになっている。現在も嫦娥4号はさまざまなデータを送り続けている。地球から月の裏側を見ることが出来ないし、通信も不可能だ。そのためあらかじめ打ち上げた中継衛星「鵲橋」が嫦娥4号からの、データの送信を担っている。
中国の宇宙開発の歴史は1956年に始まったと言われている。米国から帰国した物理学者の銭学森を中心に、宇宙開発用ロケットを研究、開発するための研究機関が設立された。1960年にはR-2ロケット打ち上げに成功したが、これらは旧ソ連の技術協力の賜物であった。ところがその直後から始まった中ソ対立で、ソ連の技術協力が打ち切られ、中国は独自の宇宙開発の道を歩むこととなった。それでも1964年には、観測ロケット「T-7A」の打ち上げに成功した。
中国が独自の人工衛星打ち上げに成功したのは1970年であった。打ち上げロケット「長征1号」で衛星「東方紅1号」を打ち上げたのである。その後中国の宇宙開発技術は着実に発展を遂げ、1990年代には打ち上げビジネスにも進出した。1990年「長征3号」が打ち上げに成功したのは、米国の衛星企業「ヒューズ・エアクラフト」社の衛星であった。ところが技術の流出を恐れた米国は、米国衛星の中国による打ち上げを、武器と同等の輸出管理制約(ITAR)の対象とし、禁止した。以降、中国は米国を含む西側諸国の衛星を打ち上げることが出来なくなった。ところが、発展途上国が争って各種の衛星を打ち上げる時代となり、中国の打ち上げビジネスは軌道に乗った。そして2019年、ついに打ち上げロケット実績で世界1となった。2019年のロケット打ち上げ数(成功のみ)は、中国32機、ロシア25機、米国21機であった。
宇宙開発は複雑、高度な技術の突破がなければ不可能だ。打ち上げロケット、各種衛星、設備器具、宇宙ステーション関連、探査ローバー、各種宇宙空間における実験関連、宇宙飛行士の装備と食糧など。中国の打ち上げロケットは「長征」シリーズが担う。これまで1号から7号、そして11号が開発された。長征ロケットの任務は、月探査衛星の「嫦娥」、有人宇宙船、各種衛星を無事に打ち上げる事だ。なお長征11号は、小型化し、海上から打ち上げるために開発された。
観測衛星も量、質とも飛躍的に発展した。地球観測、資源調査、通信、海洋調査などの衛星が開発され、すでに多数打ち上げられている。
有人宇宙計画も着々と進んでいる。有人用に開発された衛星は「神舟」シリーズだ。1号機は追跡システム確認用で、1999年に打ち上げられた。2001年の2号機にはサル、イヌ、ウサギが積み込まれた。3号、4号のダミー人形積み込みを経て、5号機に初めて飛行士が乗り、楊利偉が中国最初の宇宙飛行士となった。2008年の7号機には3名の宇宙飛行士が乗り、初の船外活動を行った。2011年には、宇宙ステーション建設を視野に入れた衛星「天宮1号」が打ち上げられた。神舟8号(無人)は天宮1号とのドッキングに成功し、9号には3名の飛行士が搭乗、有人で天宮1号とのドッキングを行った。10号には3名の飛行士が搭乗し、天宮1号との手動によるドッキングを行った。「天空2号」は2016年に打ち上げられたが、宇宙ステーション建設準備が主な任務だ。なお、中国独自の宇宙ステーション建設は、2020年から始まる予定だ。
月探査計画の次の目標は、有人による月面着陸、滞在、各種調査で、やはり2020年スタートの予定だ。それを担うのは「嫦娥5号」である。月面基地建設も視野に入っているという。月面に中国の国旗「五星紅旗」が立つのはそう遠くないだろう。また、火星探査計画も2020年から始まる。
中国は2016年に宇宙開発白書である「2016中国の航天」を発表したが、その中で「10年後には宇宙開発大国になる」と述べている。具体的には、宇宙ステーションの建設、月及び火星探査ミッションの実施、ブラックホールと宇宙気象研究、宇宙ゴミ・隕石などの監視及び警報システムの構築などが含まれている。
宇宙開発と言うと「国家機密」を連想するが、中国は宇宙開発を民間に開放している。国営・国策、民営大手など多くの企業が宇宙開発に参入、ベンチャー企業も続々と出来ている。まだ少ないが、ブラジルなど発展途上国との提携も今後増えるだろう。米国及び西側諸国の、宇宙開発分野での中国排除にもかかわらず、中国のこの分野での進歩は急速だ。安価で成功率の高さなどから、中国の衛星打ち上げビジネスは発展途上国を中心に今後急伸する可能性がある。中国政府は、宇宙開発を経済底上げの起爆剤の1つとも考えているようだ。
中国の人々は、新型コロナ流行で不安の中で不自由な生活を強いられてきたが、宇宙開発分野での成果を見て、大いに癒されてきた。
私の親しい友人で、中国の宇宙開発に大きな貢献をしてきた北京航空航天大学のある教授の、次の言葉に私は心から賛意を表したい。
「宇宙開発には、人類の運命がかかっている。国や企業間の競争が、技術の進歩を生む事は否定しないが、もっと大きな視点から、各国、国際社会は協力連携して、共同で宇宙開発に取り組むべきだ。特に宇宙開発分野で覇権争いをするべきではなく、われわれは人類運命共同体意識を持つべきだ」。(2020年9月29日)(止)