中国レポート  No.97 2023年7月

今年の北京の猛暑は異常だと誰もが言う。6月から7月にかけて、連日35度―40度の毎日が続く。多くの人が「中暑」(熱中症)になって、救急車は大忙しだ。今年の猛暑は世界的な現象で、欧州南部では気温が40度を超え、死者が出ていると中国のメディアが報じていた。ギリシャの遺跡「パルテノン神殿」がある観光地「アクロポリス」が、命に関わる高気温のため一時閉鎖されたそうだ。私の友人はギリシャを含む欧州旅行を計画していたが、暑い時期は避けて、計画を秋まで延ばすことにしたと言っていた。

ここのところ、議論好きな北京っ子の間では米中関係の話題で盛り上がっている。今年100歳になった中国の「老朋友」(古い友人)キッシンジャー米元国務長官が最近米中関係を憂慮して次のように発言した。「米中関係がこのままエスカレートすれば、どこかで衝突が起きる」。キッシンジャーは世界をアッと言わせた、1972年の「ニクソン訪中」を中国の周恩来総理(当時)と共に実現させた立役者であり、中国にとってはまさに「老朋友」で、広く尊敬を集めている。一時は中国政府の顧問を務めたこともある米国の知中派である。

キッシンジャーの「警鐘」が米中政府を動かしたのかどうかはわからないが、ここのところ米中の高レベル接触が続いている。6月18日には、ブリンケン米国務長官が北京に飛び、秦剛外相や習近平主席と会談した。7月6日にはイエレン米財務長官が訪中し、李強首相、何立鋒財務担当副首相、劉鶴前財務担当副首相らと会談した。続いて7月16日には、ケリー気象変動担当米大統領特使が訪中し、李強首相、王毅外交担当党政治局員、解振華気象変動担当特使らと会談した。続いて訪中したのは、100歳になったキッシンジャーである。これには誰もが驚いた。超高齢であり、前回2019年11月に訪中した時には「私はこれが最後の訪中」と言っていたからである。キッシンジャーはオバマ、トランプ、バイデンがともに一目を置く老練な政治家である。バイデン政権とどのような事前協議があったかわからないが、今回は「個人の資格」での訪中だ。

中国の外交官、対日関係者、学者など様々な人の話を聞いてまとめた筆者の私見だが、米中双方に、いまコミュニケーションをとっておかねばならない必要性があったという事だ。それはキッシンジャーが指摘するように、米中衝突は双方とも望まないからだ。特に緊張が高まっている状況下では、両国政府の意図に反し、偶発的に衝突が起こる可能性がある。一旦衝突が起きれば、双方の意地もあり、止めるのは大変だ。それに米中とも核保有国だ。大戦争になれば核兵器が飛び交い、人類は滅亡の危機に晒される。キッシンジャーは北京で破格の待遇を受け、習近平が会見した。新華社の報道によると、習近平はキッシンジャーに「中国人民は決して貴方のような老朋友を忘れる事はない。中米関係は常にヘンリー・キッシンジャーの名前と結びついている」と述べ、両国関係改善の希望を述べたという。注目すべきは、キッシンジャーが習近平らに先立って会談した相手が、李尚福国防部長(大臣)だったことだ。ここ数年、米中国防当局トップの接触は実現していない。今年の6月、シンガポールでアジア安全保障会議(シャングリラ会合)が開かれたが、米国が提案したオースティン米国防長官と李尚福中国国防部長の会談は、中国側が拒否したため実現しなかった。李尚福は2018年から米国の制裁対象(※)になっており、この制裁を解除しない限り、中国は国防トップの会談に応じないという態度だ。(※2018年9月、米国は中国共産党中央軍事委員会装備発展部と同部李尚福部長を米財務省の特別制裁指定リストに追加した。米国によると、党装備発展部と李部長は、ロシアから戦闘機やミサイルシステムを購入し、米国による対ロ制裁に違反したという。党装備発展部と李部長は、米国への輸出承認申請及び米金融システムの利用が禁止され、米国とのビジネスが出来なくなる。李尚福は、2023年3月の全人代で、国務委員兼国防部長(大臣)に選出された。)米国としては、中国の国防トップが何を考えているのか知りたいところだ。米国家安全保障会議(NSC)のカービー戦略広報調整官は「キッシンジャー氏の訪中報告を聞くのを楽しみにしている」と述べている。キッシンジャーは高齢で米国政府の代表ではないが、米中双方に一目置かれているので、米中関係の改善に一定の役割を果たすかもしれない。ブリンケン訪中の目的は、突き詰めれば1つだろう。それは米中間の矛盾は大きく、そう簡単に対立を解消することは出来ないが、少なくとも「戦争だけは、何としても止めようね」という事だろう。

イエレン訪中は、米中経済関係の再構築を目指したものかもしれない。トランプの時代に始まった貿易戦争、経済戦争がすでに5,6年になり、双方とも疲れてきたと言える。疲れたのは米中経済だけではない。世界第1と第2の経済大国が経済戦争を行うのだ、世界経済に大きなマイナス影響を及ぼすのは当然である。この5,6年、米国は様々な方法で中国経済に打撃を与えるべく行動した。しかし、事態は米国の思惑通りには進んでいない。この間、中国の成長は減速したが止まらず、米中貿易は米中経済戦争前より逆に伸びた。もちろん中国も大きな困難を背負い込んだ。例えばハイテク産業に不可欠な半導体は、米国の禁輸に遭い、中国の伸び盛りの通信、自動車産業などは痛手を受けた。ところが問題はそう単純ではない。米国は半導体大国だが、半導体を作るにはいろいろな原料が要る。不可欠なのはレアアースだ。例えばガリウムだが、生産シェアは中国が世界の約9割を占めている。米国は中国からこのガリウムを含むレアアースを輸入し、半導体を作る。中国は米国などから半導体を輸入し、スマホなどを生産し、それを輸出する。こうして米中と関連国の経済は回っていた。米国が同盟国にも呼びかけ、中国に対する半導体の輸出制限を行っているが、中国は対抗してガリウム、ゲルマニウムなどレアアースの輸出規制を強化した。こんなことをすれば、互いに傷つき、経済はダメージを受ける。グローバル化の下での世界経済は競争、協調、分業で成り立っている。相手国に対し経済封鎖を行えば、相手国にダメージを与えると同時に、ブーメランの如くそのダメージは自国に返ってくる。日本は米国の要請に応え、中国の半導体製造能力を抑え込もうとする米国主導の中国包囲網に加わった。しかし日本は中国からレアアースを輸入し、半導体及び半導体製造装置を中国に輸出している。中国包囲網参加は、日本に何らメリットがないばかりでなく、大きなデメリットを背負い込むことになるだろう。

経済戦争がさらに激化すれば、米中とも傷は深くなるのは必至だ。そして米中の対立は世界経済に更なる分断をもたらす。米中とも、経済戦争がこれ以上エスカレートするのは困るのだ。この悪循環を緩和するのがイエレン訪中の目的と思われる。

ケリー訪中は、米中は対立だけでなく、気象変動などで協力できる分野は多いという事を示した。ぎすぎすした雰囲気を和らげる一定の効果はあるだろう。要するに米中とも、これ以上対立がエスカレートする事を望まないという事だ。この対立のエスカレートを、限定的ながら緩和へと導く最大の要素は経済だ。膨大な規模の中国経済が存在する限り、米国を含むどこの国も中国との関係を断つ事は出来ない。

米中関係の緩和ムードに、欧米の経済界は敏感だ。すでに欧米経済界の「中国詣」が始まっている。注目すべきはオランダで、政府レベルでは米国の半導体分野における「中国封じ込め」に参加を表明している。しかし、オランダ半導体製造大手のASMLのピーター・ウエニングCEOが最近訪中し、中国側と協力する方向だ。スイス半導体大手のSTマイクロエレクトロニクスのジャン・マーク・シェリーCEOも最近訪中し、重慶に中国との合弁でパワー半導体の工場建設を決めた。独仏などはトップセールスを行い、仏マクロン大統領は中国側から160機の航空機受注を引き出している。欧米は国も大手企業もなかなか強かだ。常に表と裏で、右手と左手を上手く使い分けている。韓国はユン・ソンニョル大統領登場後、対中関係は緊張し、特に今年4月以降関係は悪化した。しかし、「経済」が両国関係を改善の方向に引っ張った。それもそのはずで、韓国の貿易構造は、中国抜きには成り立たない。韓国にとって、2022年の輸出相手国は1位中国、2位米国、4位日本だ。輸入は1位中国、2位米国、3位日本だ。貿易総額では対中国が2399.8億ドル、対米、対日合計しても2012.6億ドルで、中国1国に及ばない。韓国が対中関係改善に動くのは当然なのだ。正直言って、どうも心配なのは日本の中国包囲網に対する「前のめり」姿勢だ。外交にせよ対外経済交流にせよ、常に必要なのは賢さ(狡さ)、臨機応変さ(変わり身の早さ)であり、いくつもの「引き出し」を持っておくことが鉄則だ。その点で、今の日本にはそれが欠けているように思う。同盟国の米国に「忠誠」を誓うのは良いが、それが強すぎると、米国が変わったとき「梯子を外されて」しまう。経済安保法も、半導体及び半導体製造装置の対中輸出規制にしても、自ら自分の手足を縛る結果にならないか。財務省の統計によると、半導体製造装置の2022年度輸出額は4兆円余りで、そのうちの約3割が中国向けだ。中国が最大の買い手なのだ。当然日本は大量の半導体製造に必要なレアアースを中国から輸入している。これまで中国に輸出してきた半導体製造装置メーカーは大きな危機に見舞われている。中国を苦しめる事は、同時に日本を苦しめることになる。それが今のグローバル化し、分業化した世界経済体制なのだ。

中国の多くの国際問題専門家は、①米中対立は長期間に渡り、簡単に解決する事はない。②米中対立は時に激しく、時に緩和するが、双方とも対立が衝突にエスカレートする事は何としても避ける。③当面、米中とも望まない「台湾有事」はない、と考えている。

日本では「台湾有事」が大きな話題となり、近い将来台湾海峡で必ず戦火が起きると「危機」を煽っている専門家もいるが、それはないだろう。「台湾有事」が現実に起きるとすれば、1つの可能性しかない。それは台湾が「独立」宣言をした場合だ。その場合、中国は100%武力で阻止するだろう。ただ考えてみれば、台湾が独自で独立宣言をする可能性はゼロだ。米国の全面的支持と支援がなければ、そんな事は出来ない。米国は常に「台湾独立は支持しない」と言っている。台湾独立がなければ、中国の武力行使はない。従って「台湾有事」はあり得ないのだ。

中国では今、政府から国民まで、一番の関心事は経済だ。ゼロコロナ政策を転換した中国は、ここ数年の経済の落ち込みを取り戻すべく、さまざまな手を打っている。全体としては「底」からは脱却し、経済は回復基調にあるが、問題は山積している。回復も大きなバラツキがある。今年3月の全国人民代表大会(全人代)で、今年の成長目標を5%に設定した。第1四半期(1-3月)の成長率は対前年同期比+4.5%だった。第2四半期(4-6月)は同+6.3%だった。この数字をどう評価するかだが、全体としてはまあまあだろう。しかし成長の内容を見ると、決して楽観は許されない。これまで中国経済の成長をけん引してきた要素は幾つかある。固定資産投資、不動産、新車販売、外資導入、輸出などだが、7月現在で、最も深刻なのはGDPの約3割を占める不動産で、相変わらず上昇気流に乗れない。党中央政治局は7月24日に会議を開き、下半期の中国経済対策について協議した。不動産対策も重要議題だった模様だ。市場は何らかの対策を期待している。輸出も低迷している。輸出不振の大きな原因は、主な輸出先の米国,EU経済など、世界経済の低迷だ。ただ昨年まで好調だった対米輸出にも陰りが見えてきたのは、米中対立がボディーブローの如く効いてきたからだろう。米国の輸入シェアで、15年間首位を保ってきた中国は、今年上半期(1-6月)にメキシコ、カナダに抜かれ3位に転落した。一方で、消費は非製造部門を中心に急速に回復している。新車販売は急上昇してきた。つまり、ゼロコロナ転換以降の中国経済の回復は期待していたより遅く、非常にアンバランスだという事だ。若年失業率問題も解消されていない。詳しい状況、及び下半期の中国経済の見通しについては次号で詳しく述べたい。(2023年7月27日)(止)