最近中国のネット上である映像を見た。それは中学低学年くらいの少年少女たちが革命時代の紅軍の軍服を着て、赤旗を掲げ集団で延安、井岡山といった革命の聖地を訪ね、毛沢東の肖像の前で写真を撮っている姿だ。まるで文化大革命(文革)時代の紅小兵だ。文革時代の中国を知る筆者にとっては衝撃的な映像だった。文革時代、革命参加者の小中学生を「紅小兵」、高校・大学生を「紅衛兵」、社会人を「造反派」と呼んでいた。ネット映像は、まさに現代の紅小兵、紅衛兵そのものなのである。北京では目にしていないが、私は友人にどういうことか聞いてみた。友人によると、最近地方を中心に青少年と若年労働者の間で「革命フィーバー」、「毛沢東フィーバー」が起きていると言う。清華大学OBの友人は、ここのところ清華大学図書館の貸し出し本のトップは「毛沢東選集」だと教えてくれた。マルクスやレーニンの著作も人気だと言う。若者の間で「革命」や「毛沢東」が蘇っているらしい。この光景を見て、年配者、特に知識層は顔を顰める。彼らにとって建国後、政治運動に明け暮れた毛沢東時代、特に文革期は悪夢でしかないからだ。
改革開放以降に生まれた「80後」(1980年以降)、「90後」(1990年以降)のZ世代は、物心ついたら経済は発展し、生活は年々向上していた。1人っ子世代の彼らは父母、祖父母から大事に育てられ、多くは過保護で贅沢なわがままな世代である。もちろん列強に侵略された屈辱の時代、建国後の貧しい時代は知らないし、毛沢東は伝説上の人物でしかない。毛沢東の著作など読んだ事もない。その彼らが今どうして毛沢東なのか。私には理解できなかった。
友人たちの話を聞くうちに、「毛沢東フィーバー」の背景がなんとなく分かってきた。若者を巡る現在の複雑な環境が彼らの中に毛沢東を復活させたのだ。1人っ子世代は確かに贅沢でわがままだ。しかしその一方で、彼らは子供の時から大きなプレッシャーを受けて育った。市場経済は激烈な競争を呼ぶ。先ずは受験だ。良い小学校から良い中学、高校へ、そして大学受験はさらに厳しい。一族郎党の期待が全て彼らに集中する。大学を出ると待っているのは就職試験だ。良いところに就職しなければ両親や祖父母のメンツを潰す事になる。良い会社に就職したら、次に待っているのは出世競争だ。男性の場合、車とマンションが無ければ嫁の来手がいないと言われる。まして今は超不況の時代で、良い大学を出ても良い就職先を見つけるのは至難の業だ。今年9月の若年労働者(16歳―24歳)失業率は、政府発表で17.6%、実際はもっと高いと言われる。就職できなければ、宅配などのアルバイトで凌ぐしかない。彼らが社会に出て目にしたのは、格差の拡大であり、役人の汚職だ。
多くの若者は競争社会に疲れ果てた。いくら頑張っても給料は知れているが、一部の経営者などは一般労働者の百倍、千倍の収入を得ている。多くの若者の中で失望や怒りが生まれる。あるネットに書き込まれた言葉だ。「俺たちは賃金の奴隷、企業の牛、残業の犬だ」、「君は国の為に死ねるか、イエスだ。では資本家の為に死ねるか、絶対ノーだ」。一部の若者が毛沢東の著作を手に取ってみた。そこには「平等社会」が書かれ、「人民間の助け合い」が提起され、「共に豊かになろう」と書かれてあった。そして「階級闘争を絶対忘れるな、資本家階級と労働者階級の闘いは終わっていない」と強調されていた。ある若者は「毛沢東を読んで、雷に打たれたようなショックを受けた」と言ったそうだ。彼らにとって「平等」を掲げ、「階級闘争」を強調する毛沢東はこの上なく新鮮だったのである。「搾取」という言葉も初めて知った若者も多い。そこには「理想と希望」があった。この感想が瞬く間にSNSを通じ広がった。「平等」や「革命」という言葉が若者の一部を捉え、彼らの気持ちを高揚させている。
競争社会に疲れた若者が全てこのような高揚感を持っているわけではない。一部は「競争」に嫌気がさし、虚無的になっている。競争社会から離脱する「躺平」(寝そべり族)と言われる若者たちがそうだ。彼らは「競争しない、欲張らない、求めない」がモットーで、「不買房」(家を買わない)、「不買車」(車を買わない)、「不談恋愛」(恋愛をしない)、「不結婚」(結婚をしない)、「不生娃」(子供を産まない)と言っている。市場経済の激烈な競争に疲れ、理想や希望を失った若者の一部が「毛沢東」や「革命」に縋り付こうとしている。若者の一部に広がるこの現象は、共産党政府にとってはすこぶる厄介な事である。「毛沢東」にハマり、「革命」や「階級闘争」という言葉に新鮮さを感じている若者たちのほとんどはSNSの上での表明、交流であり、実際行動に移しているわけではない。しかし彼らは何時か「毛沢東」を掲げ、「革命」を叫び、集団で街に繰り出し、「格差」や「腐敗」、「搾取」に反対する行動に出るかも知れない。その行動の矛先が政府に向かわないという保証はない。中国共産党は「毛沢東思想」を行動の指針の1つとして掲げている。「毛沢東」を掲げている若者の行動を制限し、弾圧する事は出来ないのだ。
年配の大人たちの大部分は、青少年の「毛沢東現象」に顔を顰めている。一部の青少年の姿に「紅小兵」、「紅衛兵」をダブらせ、恐怖を感じている人も多い。絶対多数の大人たちは、いろいろ不満はあってもこの30年間、改革開放、社会主義市場経済の中で豊かになったのは事実であり、毛沢東時代に逆戻りするのは真っ平なのだ。
絶対的指導(独裁)の下で市場経済(資本主義)を行い、経済を発展させるのは、一種の「開発独裁」であり、これまでシンガポール、香港、台湾、韓国などの発展途上の国・地域でやってきた事であり、成功している。しかし中国においてはそんな単純な事ではない。まず国が大きく、多民族で、文化が多様であり、地域格差が大きい。そして中国は社会主義国なのである。「社会主義市場経済」とは上部構造(政治)は社会主義、下部構造(経済)は資本主義であり、これ自体大きな矛盾である。この矛盾は経済が非常に低い段階では有利な面が大きく、経済を大いに発展させた。矛盾はその発展の陰に隠れ、表面化しなかった。ところが中国政府が言うところの「小康社会」(経済がある程度発展し、ひと息つける状態の社会)に入るとこの矛盾、つまり社会主義と市場経済の矛盾が一気に表面化した。それが今の状態で、これからはこの矛盾がさらに大きくなるであろう。
さまざまな不満や矛盾が噴出しているのは、構造的要因もあるが、やはり大きいのは不況であろう。今年第3四半期(7-9月)のGDP成長率は+4.6%だった。1月―9月は同+4.8%だ。第1四半期が+5.3%、第2四半期が+4.7%だったので、なかなか数字が上がらず足踏みしている。ただひと口に不況と言っても問題はそう単純ではない。前回のレポートでも触れたが、中国経済が直面する最大の問題は不況と共に、発展のアンバランスである。GDPの約3割を占める不動産関連は長期低迷から脱していない。これが消費に悪影響を及ぼしている。依然としてデフレ傾向であるのは事実だ。政府の物価上昇目標は+3.0%だが、今年の上半期(1-6月)の消費者物価指数(CPI)は+0.1%だった。その後の7月―10月は、+0.5%、+0.6%、+0.4%、+0.3%と、目標にはほど遠い。製造業の購買担当者景気指数(PMI)は上半期(1-6月)平均が49.8で依然50.0を切っている。その後の6月―10月は、49.5,49.4,50.4,49.8,50.1となお足踏みと言える。失業率も依然高い。上半期は全体で5.1%だった。問題は若年労働者(16歳―24歳)、特に本年度労働市場に参入した約1200万人の大卒者で、就職戦線は真冬の状況である。この若年労働者の失業率(学生を除く)は、7月17.1%、8月18.8%、9月17.6%、10月17.1%だった。経済が回復し、消費が伸びないかぎり、この状態は改善できないだろう。
この状況を日本のメディアはまるで中国経済は崩壊するかのように報道しているが、それはあまりにも単純な見方である。不動産関連の危機的不況の一方で、ハイテク産業の成長は目覚ましく、輸出も持ち直す傾向だ。ハイテク関連の主要な企業は好調である。ファーウエイ、テンセント、BYD、万科、中国電子などのハイテク優良企業の利益率は引き続き上昇している。例えば上半期の状況を見ると、「ファーウエイ」は純利益が前年同期比+18%、売上高は同+34%、テンセントは純利益同+47%、売上高は同+8%、シャオミーは純利益同+10%、売上高は同+31%、BYDは純利益同+27%、売上高は同+16%、百度は純利益(7-9月)同+14%、売上高は同-3%だった。この分野は絶好調と言ってもおかしくない。
新車販売は消費のバロメーターと言われるが、この10月の販売、生産はともに5か月ぶりにプラス成長に転じた。10月の新車販売は305万3000台で、対前年比+7.0%、内乗用車は275万5000台で、同+10.7%だった。この内特に好調を保っているのは新エネ車で、全体の販売台数は143万台で同+49.6%、中でも絶好調なのはプラグインハイブリッド車(PHEV)で、59万台で同+89.7%と伸びた。輸出全体では54万2000台で、同+11.1%だった。2024年1月―10月の新車輸出先ランキングは、1位から10位まで、ロシア、メキシコ、アラブ首長国連邦、ベルギー、ブラジル、サウジアラビア、英国、オーストラリア、フィリピン、トルコとなっている。なおNEVだけに関して言えば、上位3か国はベルギー、ブラジル、英国である。
プラス要因で、もう1つ見落としてならないのは半導体である。米国の厳しい規制の中で、ハイテク産業に不可欠な半導体は中国を苦しめてきた。もちろん半導体の対中輸出規制は、輸出国にとっても大きな痛手である事は間違いない。世界全体の半導体市場に占める中国の割合は約30%であり、国・地域の中では最大のマーケットである。半導体輸出国・地域はこのマーケットを無視できない。中国は半導体輸出の最大のお得意様なのである。特に半導体産業の強い韓国、台湾、米国、日本と欧州の一部国家・地域は、半導体を全く中国に輸出できなくなったらお手上げである。例えば台湾の半導体は「台湾積体電路製造」(TSMC)、聯華電子(UMC)などが有名だが、2023年のIC輸出を見ると、対中国(香港を含む)が全体の53.8%、対ASEANが23.5%、対日本が9.0%,対韓国が7.1%で、対東アジアが全体の93.4%を占めた。その中でも中国は抜きんでている。韓国は「サムスン電子」、「SKハイニックス」などが有名だが、サムスンはメモリ半導体のDRAM、NAND型フラッシュメモリを中国で大規模生産している。韓国のメモリ半導体の輸出に占める中国の割合は約40%である。
以上のように半導体最大の生産国・地域である台湾、韓国とも中国市場を失ったら成り立たない。とは言え、中国は米国に半導体という「首根っこ」を抑えられている状態だ。この状況を脱するため、中国のやるべきことは1つだ。それは半導体の自給率を高める事である。中国の半導体自給率は2014年の約14%から、2023年には約23%まで向上した。2030年までには30%を突破するだろう。中長期目標は自給率70%である。中国は半導体の対外依存を低くし、近い将来独自のサプライチェーン(供給網)を構築するのが目標だ。そのために国は様々な支援策を講じている。その1つは国が主体となって国策ファンドを設立し、半導体産業振興を推し進める事だ。中国は2014年に「国家集成電路産業投資基金」を日本円換算3兆円規模で設立した。2019年には同4兆円を超える第2期を追加し、今年5月に立ち上げた第3期では同7兆円規模となった。この政府方針に呼応して、地方政府や民間企業が大挙して参入している。「長江存儲科技」(YMTC)、「北方華創」(NAURA)、「ファーウエイ」(HUAWEI)、「中芯国際集成電路製造」(SMIC)、「紫光集団」(TSINGHUA UNIGROUP)、「ハイシリコン」(HISILICON)、「中微半導体設備」(AMEC)などである。これら企業は急成長している。例えばNAURAは2023年の売り上げが対前年比+52%、AMECは同+78%である。ある友人は「まだ当分苦しい状況が続くが、米中貿易摩擦が始まったトランプ第1期政権時と比べ、中国は相当力をつけて打たれ強くなった。むしろ米国の制裁と規制は、中国の半導体などハイテク産業の成長を加速させる」と話していた。米国にとっては皮肉な結果だ。半導体で中国経済を「封鎖」する事は、短期的には中国を苦しめる事になるが、中長期的に見れば米国は半導体最大のマーケットを失う事になる。
量子技術でも中国の台頭が目立つ。量子コンピューターの公開特許数は長い間米国の独壇場だったが、2023年中国は米国を逆転して1位となった。2020年の時点の企業別で見ると、1位はIBM(米国)、2位はインテル(米国)、3位マイクロソフト(米国)だったが、2023年の順位は1位が本源量子計算科技(中国)、2位がIBM(米国)、3位は北京百度網訊科技(中国)となった。
中国経済を見る場合、多面的、多層的に見る必要がある。不動産に代表される不況分野だけを見て中国経済を論じる、あるいは好調のハイテク産業だけを見て中国経済を論じるのでは、中国経済の全体が分からない。
中国政府は「不況」を重要視、危険視している。不況は国民のさまざまな不満を表面化させ、治安悪化につながるからである。政府は不況脱出のため、車や家電買い替え補助金支給、設備更新支援補助金支給、金融緩和、住宅市場へのテコ入れ、株価対策、国債増発による景気下支えなど、さまざまな対策を出している。市場はこの対策を歓迎し、第4四半期には効果が出てきて、経済は若干上向きになるのではないかと期待している。効果が少しでも出れば、GDP成長率は政府目標の+5.0%をクリアできるだろう。(止)
西園寺一晃 2024年11月25日