北京にある中国農業文化遺産―京西稲栽培保護区

9月下旬に入ると、北京の海淀区上庄鎮、高層ビルが立ち並ぶ風景の中に、黄金色の絨毯が広がる田んぼがあります。ここは京西稲栽培保護区であり、歴史ある京西稲の保護と栽培が行われています。都市化が猛烈に進む現代において、栽培面積約133ヘクタールほど広大な水田が都心に残されていることは奇跡に近く、稀有な都市農業景観です。

北京は山が多く水が少ないため、稲作ができないという印象を与えますが、では京西稲はどのように北京に伝わったのでしょうか。記事によると、京西稲のルーツは、清の時代の康熙帝にまで遡る、とてもロマンチックな由来を持っています。康熙帝が米どころの江南地方を巡視した際、良質な種を北京に持ち帰り、玉泉山の麓に田んぼを開き、試作させた。収穫された米は、ほのかに紅色を帯び、上品な香りと格別な味わいを持っていた。その美しさから「胭脂米(臙脂米、えんじまい)」と名付けられ、皇帝の食膳を飾るようになった。その後、北京の西北地域の玉泉山一帯の田んぼで本格的に栽培されるようになり、「京西御稻」、略して「京西稻」と呼ばれるようになったのである。さらに時代が下り、乾隆帝の治世には、「胭脂米」よりも品質に優れる新品種が登場し、このように、京西稲は皇帝への献上米「貢米」として広く普及されたと言われています。

それ以来、これらの品種が京西稲の主力として、栽培され続けることになりました。都市化が進む中でその面積は激減しましたが、その価値が見直され、今では保護区が設けられ、2015年に貴重な農業文化遺産として登録されました。保護区では、化学肥料や農薬をできるだけ減らし、昔ながらの栽培方法を大切にしながら、環境に優しい持続可能な農業を実践しています。そして、この保護区はもう一つの重要な役割を果たしています。それは、子どもたちにとって北京の稲作の歴史と自然を勉強する教室となっています。都会で育つ子どもたちが裸足で泥土の感触を確かめ、緑の苗が黄金色の稲穂へと変わる過程を目の当たりにすることは、教科書では得られない食の大切さを心に刻みます。(キク)