今年に入り、中国ではストライキが頻発した。当初、ホンダ、コニカミノルタ、カシオ、ブリジストンなど日系が多かったので、日本企業狙い撃ちではないかとの見方があったが、そうではないようだ。中国経済の構造的欠陥がここに来て火を噴いたのである。
中国は改革・開放以来、経済成長が目覚しいが、成長を先導した重要な要因は「外資導入」と主に労働集約型製造業が担う輸出であった。外資は水が上から下に流れる如く、賃金が安く、投資条件が良いところに集中する。これまでまさに中国がそうだった。外資導入のために中国政府はさまざまな外資優遇政策を施行した。外資にとって最も魅力的だったのは、労働賃金の安さであった。都市部の中国企業(製造業、建設業、サービス業など)にとっても、外資系や合弁企業との競争に勝つには、安価な労働力が必要だった。
中国経済が成長し、人々の生活レベルが向上しても、単純労働の賃金がほとんど上がらなかったのは「農民工」と呼ばれる、農村からの出稼ぎ者の存在であった。農民工は低賃金で、3K職場で一心に働く。最近では若干減少傾向にあるが、昨年の出稼ぎ人口は2億人以上と言われた。
都市周辺の労働集約型製造業は、工場のラインで働く労働者のほとんどを農村からの出稼ぎ者でまかなう。これまでこの形態の企業における労使関係は、圧倒的に使用者有利、労働者不利であった。農村の余剰労働力は2億5000万人と言われる。そして農村は都市に比べ圧倒的に貧しい。そこで経済が発展すればするほど、外資が多くなればなるほど、農民工に対する需要が増大するし、農民も稼げる都市部に出稼ぎに出たがる。つまり需要も増大するが、供給は幾らでもあるという時代が続いた。農民工は無尽蔵なので、賃金はほとんど上がらない。また、これまでは使用者が農民工を「雇うのも自由、解雇するのも自由」だった。長期間雇用すれば賃金を上げざるを得ないが、3年くらいで入れ替えれば賃金は上げなくとも良いわけだ。
このような状況は、ここに来て大きく変わってきた。一つは農民工の意識の変化である。はじめはどんなに安い賃金でも喜んで働いた。ところが経済が成長するにつれ、都市部はどんどん豊かになり、農村との格差が開いた。それを農民工は目の当たりにしたわけだ。自分たちの賃金がいかに低いか、中国の成長は農村住民にはほとんど恩恵をもたらしていないと気付いた。賃金は上がらないのに、都市部の物価は上昇し、生活が苦しくなったが、農村には仕送りしなければならない。これらの不満は蓄積し、賃上げストという形で爆発した。
政府による「農民優遇政策」も、農民工を勢いづけたと言える。都市と農村の格差問題を緩和させないと、農民の不満は増大し、政権の基盤を揺るがしかねない。政府はここ数年農民の所得向上の手を打ってきた。同時に、農民工を含め、労使関係において圧倒的に不利だった労働者の労働条件を改善するために、政府は「労働契約法」を施行した。この法律は、労働者の基本的権利を保護し、労働争議を減らすためだったが、逆に労働者、特に農民工の権利意識を高め、ストライキは一気に増えてしまった。
労働契約法に従えば、労使はきちんと契約を結ばねばならない。使用者は労働者を勝手に解雇できない。試用期間が6ヶ月程度から1ヶ月程度に短縮された。最低賃金制が導入された。同一労働同一賃金が原則で、派遣労働者と正社員の賃金は基本的に同じとなった。もう一つの重要な変化は、労働組合の団体交渉権が確立されたことで、使用者側は労働組合と賃金や待遇、解雇などについて話し合わなければならなくなった。
外資にとって、この状況は大きな痛手だ。これまでは外資導入が国策で、そのために外資にさまざまな優遇措置を採ってきた。ストライキなどは、事実上政府が禁止していた。外資は安心して安い労働力を自由に使えたのである。ところが、労働者の権利意識が高まり、労働組合が機能しだし、賃金を年々上げなければならなくなった。日系企業の場合、地域や業種により若干異なるが、ストライキと団体交渉で、ほぼ30%程度の賃上げをせざるを得なくなった。水の流れの原理からすると、当然外資は労働力がより安いところを見つけようとするであろう。最近バングラディシュが脚光を浴びているが、バングラの平均賃金は中国の3分の1以下だ。
中国政府にとって、この一連の動きは大きなジレンマだ。これ以上農民の貧困を放置できない。しかし農民が豊かになると、必ずしも出稼ぎに出る必要がなくなり、都市の3K職場の労働力が不足する。また、農民工の賃金が上がれば、外資が逃げてゆくであろう。これまで中国の成長を先導してきた重要な要素の1つが危うくなる。
そこで最近中国で叫ばれているのは産業構造の転換であり、外需型成長から内需型成長への転換だ。賃金が上昇するのは避けがたい。そうすると中国がいつまでも労働集約型製造業の「世界の工場」でいることはできない。輸出はこれまでの労働集約型製造工場で作った安価な繊維製品、玩具、アクセサリー、皮革製品、雑貨などから、付加価値の高い高級品に転換する。外資導入は高度の技術移転を伴う外資に限るという方向を模索し始めた。さらに内陸部の開発、農民の所得向上により内需拡大を行い、内需型成長に転換する。中国の持続的、安定的成長はこの転換が実現できるかにかかっているというのが政府の見解だ。
中国は世界に先駆けて、いち早く世界同時金融危機から脱出した。今年通年の経済成長の見通しも、アジア開発銀行の予測では9.6%と、アジアではシンガポールの14.0%に次いで高い数字だ。数字で見る限り経済は好調さを保っていると言える。しかし、労働争議頻発に見る中国経済の構造的欠陥を充分認識している中国政府は、今後の経済について必ずしも楽観していない。