中国レポート  No.93 2022年11月

いよいよ北京も冬本番だ。やはり温暖化で、私が住んでいた1950年―1960年代と比べると、格段に暖かくなっている。それでも12月から2月にかけての寒い時期には-10度Cくらいになる日も稀にある。北京は北緯39度56分に位置するが、北緯40度前後に位置する世界の都市を調べてみると、マドリード(スペイン)、アンカラ(トルコ)、バクー(アゼルバイジャン)、秋田県(日本)、ニューヨーク(米国)などがある。秋田県の、1月の平均最低気温は-2度C、北京は同-8度Cだ。大陸性気候の北京は、海洋性気候の秋田県より気温が下がる。

さて、中国では5年に1度の中国共産党第20回代表大会(20大)が終わった。私のような中国ウオッチャーから見ると、今回はこれまでの党大会と違った点が多かった。その1つは、人事や党規約改正の内容が事前に全く漏れてこなかったことだ。これまで歴代の大会は、多かれ少なかれ、事前に重要情報が漏れてきた。中国の内部事情に関して、圧倒的に情報を持っているのは米国、香港、台湾だ。米国はCIAなどが中国内部に相当食い込んでいるのだろう。いわゆる香港情報、台湾情報はフェイクも多いが、機密情報を入手する事が多々ある。香港は中国との人的、物的なつながりが多層にわたっているので、情報も流れてきやすいのだろう。台湾は、政治的関係により波はあるが、人的な往来が増え、経済的な関係は年々強化されてきた。中国大陸に進出した台湾企業は10万社を超え、大陸に長期滞在している台湾の人は100万人と言われる。親戚や知人、友人も多いので情報も流れやすい。ところが今回は、米国、香港、台湾ともほとんど事前に重要な情報を入手できなかった。今回の20大は、人事が大きな関心を呼んでいた。ほとんど情報がない中、世界中で様々な憶測を生んだ。政治談議好きな北京の自称評論家たちを含め、いろいろな予想が語られていた。ところが予想はほぼ全部「外れ」だったのだ。私の予想も外れた。人事の発表を見て、注視していたすべての人がアッと驚いた。

習近平が続投するというのは既定方針となっていたので驚く人はいなかった。問題は党トップ7の陣容、特にNO2の李克強(首相)の処遇が焦点の1つだった。新首相人事では、来年の全人代(全国人民代表大会)で首相職を引退することが決まっている李克強に代わり誰が就任するのか(党内序列2位か3位が首相になるのが慣例)、また「将来の中国を背負って立つ」と言われてきた胡春華党政治局員がトップ7に昇格するかどうかなどが話題の中心であった。ところが開けてびっくり、トップ7では李克強と汪洋が完全引退となった。人事についてはこれまで党には「7上8下」という慣例があった。党大会の時点で、67歳以下なら指導部に残れるが、68歳以上だと引退するというものだ。トップ7では、この原則に基づいて栗戦書(72)と韓正(68)が引退した。李克強と汪洋は67歳であり、トップ7に残る資格はあった。この2人は新しく選出された党中央委員にも入っていないので、完全引退である。李克強はトップ7に残り、来年の全人代で全人代委員長になると予想する人は多かった。経済に強い汪洋については、李克強の後を受けて首相になるという予測が多かったので、汪の引退を惜しむ声は多い。李克強と汪洋は、自ら辞表を出したという。もう1つの驚きは、今度こそ胡春華政治局委員がトップ7に入るだろうと予測する人が多かったが、結果はトップ7に上がれなかったばかりか、政治局委員(24人)から平の中央委員(205人)に降格となった事である。理由はわからない。李克強、汪洋、胡春華とも胡耀邦―胡啓立―胡錦涛(前党総書記)につながる「共青団」閥(「団派」とも呼ばれる)と言われているので、その意味からすると、党最高指導部において「共青団」閥は全滅したことになる。そればかりか「3大派閥」と言われる「共青団派」、「太子党」、「江沢民派」は、最高指導部から姿を消した。サプライズと言えば、上海市党委員会書記の李強政治局委員がトップ7に昇格し、いきなり先輩の趙楽際、王滬寧を飛び越して習近平に次ぐNO2になったことである。これで李強が来年の全人代で首相になることがほぼ確定した。

人事的にみると、習近平体制は盤石に見えるが、前途には難題が山積している。コロナ対策、経済対策、対米を含む対外関係などである。コロナと経済は密接に結びついている。前回のレポートでも述べたが、中国経済の落ち込みの要因の90%以上は「ゼロコロナ」政策の結果であり、米中経済摩擦が原因ではない。むしろ米国の対中経済制裁、経済封鎖の試みは失敗したと言える。昨年の数字を見ると、米国の経済制裁にもかかわらず、中国の貿易総額は初めて6兆ドルを突破した。対米貿易も約3割伸びた。対米輸出、輸入とも史上最高であった。米国は必死に対中貿易赤字を緩和、解消しようといろいろやったが、昨年米国の対中貿易赤字は史上最高を記録した。中国の経済的潜在力は、まだまだ大きいのだが、昨年4四半期の成長率は下降線を辿り、今年に入ってからの成長率も非常に低調だ。第1四半期が+4.8%、第2四半期が+0.4%、第3四半期が+3.9%であった。今年通年の成長率は世界の平均にも及ばないかもしれない。中国の目標である+5.5%は達成できないだろう。国際通貨基金(IMF)の10月時点での予測では、中国の通年の成長率は+3.2%、世界の平均成長率も同じく+3.2%である。もしこのまま「ゼロコロナ」政策を続けるなら、中国経済は危険水域に入るだろう。

北京で新型コロナ新規感染者が増えているのは事実で、11月25日現在北京は準ロックダウンに入っている。政府としては、感染は食い止めなければならない。しかし、コロナによるロックダウン、準ロックダウン、管理の強化は経済成長の足を引っ張る。政府は実に難しい選択に迫られている。そんな中で、依然として消費と雇用が悪い。経済成長を左右する不動産も最悪な状態だ。政府は融資延長、住宅ローン金利の下限引き下げなどを含む、不動産市場に対する包括的な金融支援策をまとめた。「ゼロコロナ」政策は、中国に進出した外国企業の、材料や部品調達、生産と販売を直撃している。経済界や外資からは悲鳴が聞こえてくる。経済関係者は、外資の「中国離れ」が起きる事を心配している。「ゼロコロナ」政策がこのまま続けば、中国から撤退せざるを得ない日本企業も多いと聞く。

「ゼロコロナ」政策で、国民、市民のフラストレーションは頂点に達しつつある。広州などでは「ゼロコロナ」政策に抗議するデモ騒ぎが起きている。北京はこれまでロックダウンは回避してきたが、ロックダウンに準じる事態が長く続いてきた。外出も買い物もままならない。マンションの住民が1人でもPCR検査で陽性だったら、そのマンションばかりでなく、地域全体が即封鎖となる。バスの乗客から新型コロナ陽性者が出れば、追跡調査をし、そのバスに乗り合わせた全員が隔離となる。海外旅行は禁止ではないが、出るのが大変で、帰るのはもっと大変だ。帰国時は指定の施設で5日間の隔離が義務付けられ、帰宅しても3日間は外出禁止である。つまり5+3日の完全隔離だ。航空運賃は通常の5倍―10倍に跳ね上がっている。これではいくら日本が旅行者受け入れを解禁しても、中国から大量に旅行者が来ることはない。

今北京の人は、これから中国はどうなってゆくのか、心配しながら議論している。1つは、「ゼロコロナ」政策がどこまで続くのかだ。党大会が終われば、「ゼロコロナ」政策が緩和され、来年の春節をメドに正常に戻るのではないかと期待する人が多かったが、習近平は「ゼロコロナ」政策(中国語では「動態清零」、日本語訳は「ダイナミック・ゼロコロナ」))は基本的に堅持すると言っている。これは噂だが、ある人が習近平に「ゼロコロナをどうにかしないと経済が大変なことになる」と進言したら、習近平は「経済より政治優先、人民の命優先だ」と言ったという。日本などでは、ワクチンの普及などで、コロナの危険性はほとんど風邪と同じレベルになったとする認識が広まっていて、極度に恐れる人はかなり少なくなったが、中国ではまだ「コロナは恐ろしい、命に関わる」という認識が大勢なのだ。

もう1つの議論は、今後中国指導部の考え方、政策が大きく変わる可能性があるのではないかという事だ。根拠の1つは、習近平指導部が「改革開放」という言葉をほとんど使わなくなった事である。「社会主義市場経済」という言葉もほぼ消えた。これが何を意味するかだ。「改革開放」政策は、鄧小平が始めたもので、毛沢東時代の価値観を転換、大胆な経済改革を行い、計画経済を放棄し、市場経済を導入した。その結果、経済は驚異的発展を遂げたが、その一方で権力と経済の癒着から凄まじい腐敗が生まれた。また経済格差が生まれ、広がった。個人企業、民営企業の発展は、多くの資本家を生んだ。一方で、これまで「ぬるま湯」に浸かってきた国営企業の多くは競争力を失い、市場経済に対応できなくなり抜本的改革が叫ばれてきた。これは市場経済下では当然なことだが、私たちが忘れていけないのは、中国は「共産党の指導する社会主義国」だということだ。その中国に大量の資本家、富裕層が生まれた。資本家に比べ、労働者や農民は相対的に貧しい。資本家も共産党に入党することができる。この現象に違和感を持つ人たちがいてもおかしくない。習近平指導部が、「革命の初心、原点」に戻り、引き続き「反腐敗」を行ってゆくのは間違いない。また江沢民、胡錦涛の時期は、民営企業を大いに発展させるという方針を出していたが、習近平は国営企業中心の方針を出している。民営企業が巨大になり、経済の動脈を握るのは許さないという方針は明確だ。北京の自称評論家の間で話題になったのは、20大終了後、習近平が政治局常務委員を引き連れて延安に行った事である。延安はかつて毛沢東率いる革命軍の「聖地」であり、毛沢東革命路線の「初心、原点の地」である。因みに鄧小平の改革路線の「初心、原点の地」は深圳であり、改革開放はここから始まった。

私は習近平が鄧小平の改革開放路線を全否定し、毛沢東時代に回帰しようとしているとは思わないし、そんな事は出来るはずがない。しかし、習近平が鄧小平の改革開放路線をこれまで通り継承実行するとも思えない。では何がどう変わるのか。それは今後の中国を見てみないとわからない。その意味で重要なのは、来年3月に予定される全人代でどのような人事が行われ、どのような具体的政策が打ち出されるかである。

日本から中国を見ると、中国は国際社会で非常に孤立しているように思えるが、世界の視点から見ると、必ずしもそうではない。日本を除くアジアは、米中間で極力中立を保つ努力をしているし、アフリカ、南米においては、中国の影響力は強まっている。対中国で、EUには温度差がある。米国とて、中国を無視することはできない。20大以後、習近平指導部はホッとしたに違いない。20大終了直後、まず北京を訪問したのはベトナムのNO1であるグエン・フ―・チョン共産党書記長であった。両国は今後の協力強化を約束した。南シナ海問題で対立するベトナム首脳が、20大直後北京を訪れた事は、中国外交にとって大きな成果と言える。ASEANにも影響を与えるだろう。米国が顔をしかめたのは、G20バリ首脳会議前の11月4日、ドイツのシュルツ首相が、大手企業のトップを引き連れて訪中した事だろう。そういう米国も、G20開幕前の11月14日、バリでバイデン・習近平の首脳会談を行った。G20開幕中に中国は、オーストラリア、韓国、フランスなど10数か国との首脳会談を行った。それまで中国側からの、首脳会談の打診になかなか応じなかった日本は慌てたのだろう。G20終了後の11月17日、やっとバンコクで3年ぶりの日中首脳会談を実現させた。中国のある評論家が言っていた。「米国の顔色ばかり見ているから、今回も米、独、仏や韓国にまで先を越されたね」。まあ後先はそれほど大きな問題だとは思わないが、要は独自の対外戦略、対中戦略があるかどうかなのだ。

習近平新指導部はツイていると思う。G20会合前、ASEANの中でも手強いベトナムのNO1が訪中し、EUの主要国であるドイツ首相が「抜け駆け」的訪中をした。また、ちょうど20大の直後にインドネシアというアジアの地でG20首脳会議があり、参加主要国との間で首脳会談が出来たのである。これは習近平新指導部が国際社会で「認知」を得たことになる。習近平は自信を持ったに違いない。これで欧米や日本の対中警戒が解けたわけではないが、米国の考えるような欧米日による対中「封じ込め」の足並みはなかなか揃わない。それは、どの国も中国を無視することは出来ないということだ。(止)