No.57 中国レポート

「光陰似箭」(光陰矢の如し)。早いもので今年もあとわずかになった。冷戦の崩壊以後、新たな秩序を模索しつつも、世界は不安定なまま推移している。今年はテロが脅威を増し、国境を超えて世界に拡散した。経済的には、世界経済が停滞の域を脱することができず、明るい兆しがなかなか見えてこない1年であった。グローバル化が進む中で、一国主義、排他主義、保護貿易主義が世界で蔓延しつつある。米国におけるトランプの登場はまさにその表れだろう。
トランプの登場は中国にとっても衝撃的な出来事であった。トランプ勝利の当初、北京の一般市民の反応は悪いものではなかった。それは決して深く考えた上での反応ではなく、「番狂わせ」、「奇跡」が起きたことに対する野次馬的心地良さであったかもしれない。一方で、インテリの多くは顔をしかめていた。特に経済官僚、学者、輸出産業の幹部は危機感を抱いた。中国にとって、米国は第1の輸出相手国である。その米国がアンチグローバリゼーションの立場から保護貿易主義をとれば、中国の対米輸出は大きな痛手を被ることになる。
しかし、中国にとってトランプの登場は悪い面ばかりではないと考える学者も多い。経済学者は顔を顰めるが、政治学者はそうとは限らない。ある政治学者は「トランプはビジネスマンで、物事をコスト計算で判断する。オバマのアジアへの関与強化、米日で中国封じ込めというやり方は、米国にとって大きなコストがかかる。もしトランプがコスト計算をするなら、米日による中国封じ込め戦略を修正するかもしれない」と言っていた。また別の学者は「貿易面で米中の対立が先鋭化する可能性があるが、その一方で米国のTPPからの離脱は、中国にとって悪いことではない。TPPは中国排除という政治的一面を持っているからだ」と話していた。
ここ数年、TPPばかりが話題となり、中国が力を入れてきた地域経済連携の影が薄くなっていた。それは東アジア地域包括的経済連携(Regional Comprehensive Economic Partnership)、略称「RCEP」である。これはASEAN10ヶ国、日本、中国、韓国、インド、オーストラリア、ニュージーランドの16ヶ国からなる、世界人口の約半分、4割近いGDPを占める世界最大の地域経済連携構想である。この構想には米国は入っていない。この構想が息を吹き返せば、アジアにおける中国の存在感はさらに強まり、逆に米国の影響力が弱まることは必至だ。
オバマやクリントンについて、中国の多くの人は鬱陶しく思っている。それは何かにつけ「人権」、「民主」を振りかざして中国に迫ってくるからだ。民主、共和両党の大統領候補予備選が行われている時、多くの学者は「最も手ごわいのはクリントンだ」と言っていた。クリントンになったら、おそらく米国の「アジア関与」はさらに強まったであろう。米国の対日重要性は一段と高まり、日米の戦略的結合は強化されたはずである。これは中国にとっては脅威である。トランプになり、米国が内向きとなった場合、東シナ海、南シナ海を含むアジアへの関与はこれまでより弱まる可能性がある。それは中国のアジアにおける影響力が増し、中国の対外進出が加速することにつながる。しかし、トランプが乱暴な形で、例えば露骨な軍事行動で中国に対して出てくる可能性も、中国の指導者の頭にはちらついているはずだ。オバマやクリントンの場合は、手強いには違いないが、行動は予測可能であった。また、どんなに対立が激しくなっても「米中戦わず」というコンセンサスはあった。中国が神経を尖らす台湾問題についても、これまで米国は「台湾の独立を認めず、中国の武力統合も認めず」という立場を堅持してきた。ところがトランプの場合は全く予測不能で、あらゆる可能性を考えないとならない。
トランプ評について、共産党や政府幹部の口は重い。様々なことを予測しながら、じっと見守っているのだろう。今の時点で、中国にとって最も好ましいのは、アジアにおいて米国を排除して中国が支配権を打ち立てることではない。そんなことは今の中国の実力からして不可能だということは誰でも知っている。中国の本音は、アジアで米国と覇権争いはしたくないのだ。では好ましい状況はと言えば、米中が「新しい大国関係」を築き、米中が共同でアジアを取り仕切るということである。オバマは米中の「新しい大国関係」構築を事実上拒否してきた。トランプがどう考えるか、中国にとって最大の関心事だ。
中国だけでなく、どの国も果たしてトランプは何をやるのか、予測不能のままじっと見守っている。日本だけ、トランプが当選すると安倍首相が飛んで行って会談を行った。まだ就任もしていない次期大統領に首脳が会い、会談するのは外交上異例の事である。このことが吉と出るか凶と出るかわからないが、少なくともTPP離脱を思い留ませる説得は失敗に終わり、日本は梯子を外された格好となった。中国では、ここ数年の「日米一体」傾向に警戒感を強めていたが、今後の日米関係の変化にも大きな関心が集まっている。ある日本研究者は「安倍政権の日米同盟強化をテコとした中国封じ込め戦略は、おそらくトランプの登場で修正を余儀なくされるだろう。そうなれば日本の対中政策も修正を迫られることになる」と言っていた。
北京市民の間でも、当初の「トランプ、面白いではないか」という気分から、何をやるかわからない不気味さを感じる人が多くなった。ある友人は「まあ、選挙中、当選時、大統領就任後では当然言動は変わるだろうが、全くわからないのが不気味だ」と言っていた。
中国にとって「トランプ現象」が世界に蔓延することは脅威だ。改革開放により、中国は成長を遂げてきたのであり、輸出は大きな牽引力となった。その意味でグローバル化は追い風となった。中国の改革と発展にとって、自由貿易は今後ますます不可欠になってくる。中国の中長期的な経済戦略である「一帯一路」(新シルクロード経済圏構想)が成功するには、世界がより開放的になることが必要である。中国がこの「一帯一路」実現のために設立したのが「アジアインフラ投資銀行」(AIIB)である。当初国際社会には、参加するのはせいぜいアジアの10数ヶ国だという厳しい見方もあった。しかしフタを開けてみると、日本が主導するアジア開発銀行(ADB)の64ヶ国には及ばなかったが、57ヶ国の参加があった。さらに現在30ヶ国の参加申請があるという。2017年には参加国が80を超えるだろう。日米が予想しなかったのは、G7の英仏独伊まで参加したことであった。トランプの登場がこの中国の経済戦略に障害となるのかどうか、中国としては気が気でないところである。
世界はまだ大統領に就任もしていないトランプに振り回されているが、中国とて同じである。経済面だけでなく、場合によっては対米戦略、対日政策を含む世界戦略を練り直さなければならないかもしれないのだ。(止)
2016年11月30日  西園寺