北京の春は短い。寒い冬が終わり、4月になると春めいて来るが、それもつかの間、5月になると急に暑くなり初夏に突入する。
正直言って、最近の北京にはあまり明るい話題はない。経済が芳しくないので、何となく重苦しい空気が漂っている。米、欧、日などの「中国封じ込め」も鬱陶しさに拍車をかけている。日中韓首脳会談が久しぶりに開催されたが、今の米中対立の下、大きな成果を期待する人はほとんどいない。それよりも今は経済が最重要だとみな思っている。中国経済はこれからどうなって行くのか、この問題は人々の生活に直接関わってくるので、無関心ではいられない。とは言っても、多くの人は懐に金が無いわけではない。運輸交通部によると、5月のGW(5月1日―5日)に地域を跨いで移動した人数は延べ13.60億人、前年同期比+2.1%だった。文化観光部の統計では、純粋な国内観光旅行者数は延べ2.95億人で、同+7.6%だった。観光収入は同+12.7%だった。この期間中の海外旅行者数は477万人で、同+38.0%。
5月のGWの最中、久々に夢のある、明るいニュースが飛び込んできた。それは中国の月探査機「嫦娥6号」を搭載した「長征5号遥」ロケットが5月3日海南島文昌宇宙基地から打ち上げられ、成功した事だ。この「嫦娥6号」は、月の裏側の南極にあるエイトケン盆地に着陸し、さまざまなサンプルを採取し、地球に持ち帰る「サンプルリターン」を目的としている。成功すれば世界初の快挙である。先行して3月に打ち上げられた「鵲橋2号」が通信の中継を担当する。中国が月の表側のサンプル採取に成功したのは「嫦娥5号」による2020年である。中国の探査機が月の裏側に軟着陸したのは今回が初めてではない。2019年1月、中国は世界で初となる月探査機「嫦娥4号」を月の裏側のクレーターに軟着陸させている。2018年5月に打ち上げた中継衛星「鵲橋」を通じ、貴重な写真を送り続けた。今回はさらに一歩進んで、サンプルを持ち帰る計画だ。
1950年代から長きに渡り、宇宙に対する調査、研究、開発は米国の「アポロ計画」、旧ソ連の「ルナ計画」に代表される米ソ両国の独壇場であった。ところが1980年代の「改革開放」以降、この分野で中国は米ロ両国の間に割って入った。「宇宙開発」とひと事で言うが、さまざまなハイテクの集積で成り立っている。1つの分野の技術が欠けても成り立たない。中国経済が困難に陥ると、日本では必ず「中国経済崩壊」論が出るが、中国経済を再飛躍させる可能性のあるハイテク分野では、着実、急速に技術革新が起き、全体の底上げが行われているのもまた事実なのである。特に宇宙開発分野では、すでにロシアを抜き、米国と肩を並べるところまで来たと言っても過言ではない。
そこで今回は、中国の宇宙開発の経過と現状について述べてみることにする。ある友人は「宇宙開発と言うと超現代を想像するが、中国の宇宙開発の試みは明朝の時代に始まる」と言う。明朝の高官が47本の固体燃料を使い、自作のロケットに乗って宇宙を目指した。今で言えば「有人宇宙飛行」だ。ところがロケットは爆発し、高官は死亡、夢はつい果てた。本当の話かどうかは分からないが、古代から人類は果てしない宇宙に夢を抱いていたのだ。
明朝の物語はさて置いて、中国の宇宙開発の原点は1950年代に遡る。新中国が成立したのが1949年、世界は厳しい冷戦下にあった。中国は米国など西側陣営の封じ込めに遭い、また「東側陣営のリーダー」であったソ連とも実は関係が良くなかった。そんなわけで、毛沢東は米ソの圧力を跳ね返すため1955年「中国独自の戦略兵器」の開発を提起した。核兵器である。核兵器は核爆弾と、それを運ぶロケットから成る。人工衛星も同じで、人工衛星とそれを宇宙まで運ぶロケットが必要だ。当時中国の強大化を恐れたソ連は、核兵器と運搬ロケットの技術を中国に渡さなかった。中国は独自で開発するしかなかった。
戦後、米ソの宇宙開発競争は華々しかった。ソ連は1957年10月、人工衛星「スプートニク1号」を米国に先駆けて打ち上げた。米国などの西側にとってはまさに「スプートニクショック」だった。同年ソ連は犬(ライカ)を搭載した「スプートニク2号」の打ち上げに成功した。米国の初打ち上げは1958年1月である。その後、旧ソ連は1961年4月、宇宙飛行士のユーリー・ガガーリンを乗せた有人宇宙船「ボストークKA-2」の打ち上げに成功した。1966年2月、ソ連の人工衛星「ルナ9号」は月面軟着陸に成功した。ソ連に後れを取った米国の反転攻勢は1969年である。7月、米国は有人の「アポロ11号」の月面着陸に成功した。米国人宇宙飛行士のニール・アームストロングとバズ・オルドリンは月面に立った初の人類となった。
この華々しい米ソの宇宙開発競争を、中国は指を咥えて見ていた。毛沢東は号令をかけた。「建国10周年の1959年までに、中国の人工衛星を打ち上げよ」。実は、中国は極秘裏に核弾道、運搬用のロケット、人工衛星の研究開発を進めていた。特に1956年、中国の物理学者銭学森が米国から帰国すると、銭を所長とする「国防第5研究所」が設立され、「中国航空宇宙12年計画」が策定された。銭学森グループの活躍は目覚ましかった。
1960年2月 観測ロケットT―7打ち上げに成功
1960年9月 R―2ロケット打ち上げに成功
1960年11月 短距離弾道ミサイル「東風1号」発射成功
1964年6月 「東風2号A」発射成功
1964年7月 観測ロケットT7-A打ち上げと回収に成功
1964年10月 初の核実験成功(新疆ウイグル自治区ロプノール)
1966年12月 中距離弾道ミサイル「東風3号」発射成功
しかし中国は毛沢東が目指した「建国10周年の1959年までに人工衛星を打ち上げる」事は出来なかった。中国が運搬用ロケット開発に力を入れている時、米ソは人工衛星を打ち上げたばかりではなく、月面着陸を競う段階に入っていたのである。中国は人工衛星の打ち上げを米ソに次ぐ「3番目の国」になる事を目指したがそれも叶わず、フランスと日本に先を越された。日本初の人工衛星「おおすみ」が打ち上げに成功したのは1970年2月であった。中国は遅れる事わずか2か月、同年4月に初の人工衛星「東方紅1号」打ち上げに成功した。その後1975年11月、中国は回収式人工衛星「FSW-01」の打ち上げと回収に成功したが、1960年代後半から1970年代後半の約10年間、中国の宇宙開発は停滞した。理由は文化大革命勃発である。
中国の宇宙開発に再びエンジンがかかったのは1980年代に入ってからである。1976年に毛沢東、周恩来が亡くなり、「4人組」事件を経て、文化大革命は終了した。鄧小平は華国鋒との権力闘争を制し、権力を把握した。「改革開放」時代の幕開けである。鄧小平が宇宙開発面で先ず行ったのは、組織的、財政的、技術的なバックアップ体制の構築である。1988年、中国は「航空航天工業部」を設立、1993年には「中国国家航天局」と「中国航天工業公司」が設立された。重点として「長征」ロケットシリーズの更なる発展、商業衛星打ち上げが提起された。開放政策の目玉の1つとして、宇宙開発分野での国際協力も推進し、同じ発展途上国であるブラジルの「国立宇宙研究所」と探査衛星の共同開発で合意した。この中国とブラジルの共同開発は順調に進み、1999年10月、両国共同開発の資源探査衛星「資源1号」が、2003年には同「資源2号」、2007年には同「資源3号」が打ち上げられた。中国とブラジルの宇宙開発面での協力は今も続いている。
2007年10月、中国は初の月探査機「嫦娥1号」を打ち上げ、月軌道に到着した5番目の国となった。月軌道に乗るという面では、中国は依然フランスや日本に後れを取っていた。ところが月面着陸で中国は日仏を追い抜いた。2013年12月、中国は月探査機「嫦娥3号」を月面に軟着陸させ、米国とロシア(旧ソ連)に次ぐ3番目の国となった。この「嫦娥」計画は順調に進み、2018年12月打ち上げられた、「嫦娥4号」は月の裏面の撮影に成功し、翌2019年1月、月の裏側への軟着陸に成功した。世界初の快挙であった。2020年には「嫦娥5号」を打ち上げ、初の月軌道上でのドッキングに成功、その後月の土壌(表側)を採取し地球に帰還した。中国は宇宙開発面で一気に米ロと肩を並べるほどに急成長したのである。
「嫦娥」計画での月面探査と同時に、中国は宇宙ステーション(CSS)建設に乗り出した。2011年10月、中国は「天宮」計画を実施し、CSS建設のための衛星「天宮1号」を打ち上げた。同時に宇宙ステーションで作業する飛行士の訓練と選抜に入った。2016年10月、中国は2人の飛行士を乗せた有人宇宙船「神舟11号」を打ち上げ、2日後に「天宮2号」とドッキングさせ、11月無事帰還させた。中国のCSS建設は、数年の準備期間を経て2021年4月開始、2022年12月に完成した。これに先立ち、国連宇宙局は中国国家航天局と、CSSの利用機会を国連加盟国に開放する協定を結び、現在日本を含む17か国23機関による様々な実験が計画されている。
なお、中国はCSSをバックアップする以下の衛星を多数打ち上げている。
「天和」衛星:3人の居住が可能で、CSSの誘導、航行、方向制御などに対応するコアモジュール。
「問天」衛星:CSSの管理、制御、「天和」のバックアップ。
「夢天」衛星:微小重力実験設備搭載。
「巡天」衛星:直径2mの主鏡と2.5キガピクセルのカメラ搭載。ハッブル宇宙望遠鏡の300倍の視野を持つ(2024年打ち上げ予定)。
人々が月と共に大きな関心を寄せているのは火星である。米ロは早くから火星探査に乗り出し、無人探査機を火星に送り込んでいた。中国は2020年に入るとこの分野に参入した。2020年7月、中国は火星探査機「天問1号」を乗せた大型ロケット「長征5号」を打ち上げ、翌2021年5月、火星の「ユートピア平原」南部に着陸させることに成功した。米ロに次いで3国目である。着陸機には地表を走行する探査車「祝融号」が搭載され、地表走行も成功した。この地表走行に関しては、これまでロシアは成功していないので、中国は米国に次ぐ2国目となった。
宇宙開発の面で、中国の悲願は自前の衛星測位システムを持つ事であった。このシステムは現代社会においては、民用、軍用、ビジネス全ての分野で不可欠のものである。これまで世界にはグローバル衛星測位システムとして米国のGPS、ロシアのGLONASS、EUのGALILEOなどがあったが、米国のGPSが性能、カバーする範囲などの面で圧倒的に強力だった。中国が自前の衛星測位システムの開発に取り組み、その完成を急いだ理由は1991年の「湾岸戦争」にある。米国はGPSを利用し、正確にイラク軍の戦車、軍事拠点を木っ端微塵にした。イラク周辺ではGPS機能を停止し、イラクに使用させなかった。現代戦において、いかに衛星測位システムが重要か、中国は思い知らされたのである。もう1つの出来事は1993年に起きた。中国の遠洋船「ギャラクシー号」が「化学兵器運搬の疑い」で米軍から検査を要求された事件である。中国は「あまりにも理不尽」と拒否、すると米国側は「ギャラクシー号」近くのGPSサービスを停止した。そのため同船は33日間方向を失い海上を彷徨する事となった。これらの事から、中国は米国のGPSに頼る事は、現代社会において死活問題である通信において、米国に首根っこを押さえられる事だと痛感したのである。
中国は20年の歳月をかけ、中国版GPSである「北斗システム」(GNSS)の開発に取り組み、2020年6月、最後の55機目の衛星を打ち上げ、GNSSを完成させた。7月には世界に向けて正式サービスの開始を宣言した。サービス範囲としては、今やGPSと並んで2大グローバル衛星測位システムとなっている。
習近平指導部は「大国」という言葉が好きなようだ。「貿易大国」、「製造大国」、「海洋大国」、そして今中国が目指しているのは「宇宙大国」である。宇宙開発には夢がある。人類は宇宙についてほとんど知らない。知らないからあれこれと空想をし、その空想が「宇宙人」や「UFO」を生む。一方で、宇宙開発にはきな臭さも漂う。宇宙開発には近年インドなどグローバルサウスも参入し始めた。今後競争は激化するだろう。競争の激化は必然だが、それは「平和的」であって欲しい。中国の多くの人もそう思っている(止)
西園寺一晃 2024年5月27日