中国レポート No.76 2020年1月

21世紀20年代の幕開けである。北京の人々は楽観的でも悲観的でもない気分で新年を迎えた。昨年は米中経済戦争が激化、新冷戦などと言われた。もちろん中国にとって苦しい1年だったが、攻める米国にも「攻め疲れ」が見られ、農業や国民生活へのリスクが現実化した。それが原因の1つで、双方が妥協の必要性に迫られ、経済戦争は緩和から一時休戦へと進んだ。1月13日、米国政府は中国の「為替操作国」指定を解除した。15日、米中は米農産物などの輸入拡大(中国)と一部追加関税の緩和(米国)を柱とする「第一段階の合意」文書に署名した。

この米中合意は、どちらにとって有利なのか、中国では、専門家ばかりではなく、議論好きな人たちの間で大きな話題となっている。さすがに中国にとって有利な妥協と考える人はいないが、中国の負けと思う人もいない。どんな結果になろうと、この経済戦争には勝者はいないというのは共通認識だ。その上で、多くの人は、「中国の方がより大きな妥協をした上での一時休戦」と思っている。ある友人は、「一部には中国にとって『屈辱的合意』と言う人もいるが、まあこんなものだろう。これがいまの米中の力関係だ。これで、中国も米国もひと息ついたという事だ」と言っていた。今回の合意で、中国は結果的に「憎いトランプ」に塩を送った結果となった。中国は今後、大豆、トウモロコシ、豚肉などの農産品や車、航空機、エネルギーなどを大量に米国から輸入する事になるが、米国の農業地帯や自動車産業地域はトランプの大きな票田である。トランプにとっては、大統領選を前にして大きな点数を稼いだことになる。問題は第二段階で、中国が国家の命運を賭けて推進しているハイテク産業の育成や知財の問題が含まれる。これについて、中国は簡単に妥協する事はできない。中国の政治経済の根幹に関わるところであるからだ。これは一応先送りになった。中国のほとんどの人は、米中経済戦争は簡単に終わるとは思っていない。それは仮にトランプが再選を果たせなくとも、この事態は基本的には変わらないと思っている。多くの人は、米中の矛盾は長期的に見れば「中国が攻め、米国が守る」構図で、米国は中国がまだ追いついてこないうちに叩いておこうと思っている、だから短期的には「米国が攻め、中国が守る」という構図になっていると考えている。つまり米中経済戦争は、単純な経済問題ではなく、長期的に続くというのが多くの中国人の認識だ。

 中国にとって、トランプは何をやるかわからない存在だが、こういう不透明、不安定な経済情勢の中で、2020年およびその後の経済運営を、中国はどのようにやってゆくのか、習近平指導部としては悩ましいところだ。これは中国人だけではなく、世界的にも注目されている。その意味で、つまり2020年の中国経済を展望する上で、非常に重要な会議が昨年12月にあった。

 「中央経済工作会議」は、中国共産党指導部が主宰する、翌年の経済方針を決める党の会議で、毎年12月に開かれる。この12月というのには意味がある。中国の経済政策は、毎年3月に開かれる全国人民代表大会(全人代)で討議、決定されるが、その前に党としての方針を決めるのである。全人代はこの党の方針に沿って、具体的に政策立案するわけである。中国ではあくまで党が政府の上にあるのだ。その中央工作会議は昨年の12月10日から12日まで北京で開かれた。会議では、まず中国を取り巻く全体の状況を「国内外のリスク・挑戦(試練)が明らかに増大する複雑な局面」と認識、世界は現在「大変動期」にあるとしている。そのような中でも、中国は「安定の中で前進を求める全般的基調を堅持し、あくまでも供給サイドの構造改革を主軸に、質の高い発展を図り、『6つの安定』活動に着実に取り組み、経済・社会の持続的で健全な発展を維持した」とし、困難な中でも持ちこたえたばかりでなく、成果を挙げたとした。「6つの安定」とは、雇用、金融、貿易、外資、投資、成長予想の安定を指す。その一方で、困難は依然として去っていないと次のように引き締めている。「わが国がいま発展パターンの転換、経済構造の最適化、成長原動力の転換という難関攻略期にあり、構造的、体制的、循環的問題が重なる『3つの時期の重なり合い』(成長速度の切り替え期、構造調整の陣痛期、事前刺激政策の消化期)の影響が深まり続け、経済の下振れ圧力が増している事を必ずはっきりと認識しなければならない」。

 会議で討議、決定された内容は膨大なもので、詳しく述べるスペースはないが、注目されるのは以下の内容である。

  「新しい発展理念」として、革新、協調、グリーン、開放、シェアが提起された事。②積極的財政政策と金融政策を引き続き実施すると表明した事。③経済構造の改革、特に国有資産・国有企業改革をスピードアップさせることが強調された事、などである。

 この3月には全人代が開催されるが、以上の党の経済方針をどう具体化するか、成長率をどう設定するかなど、興味深いところである。先般発表された2019年の成長率は6.1%、同年第4四半期の成長率は6.0%であった。政府目標は6.0%-6.5%だったので、目標は一応クリアされたが、減速基調は変わっていない。多くの学者は、今年の目標は6.0%になるだろうと予測しているが、6%を切ると予測する学者も少なくない。ただ米中経済矛盾の緩和が定着すれば、成長率が2019年より若干上がる可能性もある。

 では北京市民が実際に体感する経済はどうであろうか。今年の春節(旧正月)は1月24日が大晦日、25日が元日であった。国民にとっては最大の祝日となる。多くの人は土産を背負って故郷に帰るが、最近は家族で国内、海外旅行する人が多くなった。どこにも行かない人は家で山ほどのご馳走を作り、家族団らんする。春節は最も消費の伸びる時期である。政府は、延べ30億人が各種交通機関を使い大移動すると見ていたが、状況は大きく変わった。1月に入り、新型肺炎が猛威を振るい始め、春節直前の段階で、武漢市など4都市で移動制限が出て、この4都市を含め、13都市で4100万人が影響を受けたようだ。これは事実上強制力を伴った数で、自粛の数を含めれば恐らく億単位になるだろう。国内団体旅行は24日から、海外団体旅行は27日から禁止となった。感染者は4桁になり、死者は増えている。私の友人の多くも旅行計画を取りやめた。経済も大きな打撃を受けると思われる。※

 北京では大晦日の夜、各家庭で餃子を作り、楽しく食べるのが習わしだ。ところが、今年は頭が痛い人が多い。最も重要な食材である豚肉が品薄で、価格が急上昇しているのだ。原因は、アフリカ豚コレラの蔓延で1億頭の豚が殺傷処分された事、米中貿易戦の影響で米国から入る養豚用飼料穀物が高騰した事、主に南方で環境保護のために養豚が厳しく制限された事、という3つである。中国人にとって豚肉は不可欠な食材である(イスラム系少数民族を除く)。特に春節の時期は特別だ。2019年の豚肉価格は平均で対前年比42%値上がりした。12月単月では同97%の値上がりだった。ブランド肉はさらに高い値上がり率で、ものによっては10倍になったという話もある。特に低所得層や年金生活者にとっては厳しい春節となった。物価も上昇傾向で、2019年のCPI(消費者物価指数)上昇率は2.9%で、8年ぶりの大きさだった。政府の許容範囲「3%以内」の上限に近い。ただ豚肉以外は高騰と言うほどではない。豚肉高騰に不満を言う人は多いが、不満が爆発するような事はない。牛、羊、鶏などの肉は豊富にあるし、他の食材は特に品薄のものは無く、スパーマーケットには食材が溢れている。それに、今は「一時休戦」とは言え、米中経済戦の最中である。「ガマンが愛国」なのだ。物価についてある学者は「今年のCPI政府目標は昨年と同じ3%となるだろうが、前半は高止まりが続き、4%まで行く可能性がある。後半は落ち着いてくるだろう」と予想していた。

 北京の一般市民は、今の経済状況をあまり深刻に考えていない。物価はやや高めだが、賃金の平均上昇率は物価上昇率を超えている。ただ将来への不安は誰もが漠然とだが抱いている。さらに「贅沢禁止」の雰囲気の中で、高級品が売れない現象は続いている。一般市民にとって最大の買い物は車であろう。新車販売の状況は、消費のバロメーターでもある。その新車販売だが、2019年は対前年比8.2%減の2576.9万台だった。主要各国に比べても中国の落ち込みは大きい。それでも新車販売台数はダントツの世界1である。その一方で中古車市場は5%ほど拡大しているので、自動車販売の落ち込みが危機的と言うほどではない。ここ数年、中国は電機自動車(EV)など新エネルギー車の普及に力を入れてきた。政府は2010年から新エネ車購入に補助金を出して、購入を奨励してきた。その結果、2018年には中国での新エネ車の販売台数が世界の約6割に当たる125万台になった。ところが2019年は、新エネ車販売台数が対前年比4%減の120万台と落ち込んだ。もともと新エネ車に対する補助金は、2019年までの予定だったが、延長するだろうと言われている。それでも政府目標の2020年販売台数200万台の達成は厳しくなった。このように中国市場での新車販売は厳しい状況にあるが、日本車は大健闘している。2019年の販売台数は対前年比4%増で、初めて500万台を突破する見通しだ。特にトヨタとホンダが過去最高を記録するのは確実となっている。トヨタは中国市場での販売台数が国内販売台数を抜いた。日本とドイツ車は好調だが、日独とも今年は楽観できない。米中合意で、中国は米国からの車の輸入を大幅に増やすと約束した。米国車の輸入が大幅に増えれば、日独をはじめ、各国の中国市場における新車販売台数が打撃を受ける可能性がある。

 このように習近平指導部は、対米経済関係を何とか緩和させる事に成功し、その意味では国民をひと安心させた。しかし、今回の米中妥協は、中国にとって深刻な問題を含んでいる。これまでトランプの米国は「米国第一」を掲げ、自由貿易を否定、破壊してきた。中国は米国のこのようなやり方を一貫して批判し、中国こそ「自由貿易の守り手」と胸を張ってきた。ところが今回の米中合意は、自由貿易を破壊するようなものだ。両国政府間で貿易量や貿易内容を決めるのは自由競争を基礎とした自由貿易の原則に反する。中国にとっては「背に腹は代えられない」のだろうが、例えば米国から大量に車を輸入すれば、日独やその他の国の自動車メーカーに大きなマイナスをもたらすだろうし、米国のボーイング社製航空機を大量に購入すれば、EUのエアバスが影響を受けるだろう。また米国から大量の大豆を入れれば、ブラジルなどにダメージを与えるし、米国から大量のLNGを輸入すれば、オーストラリアなどが割を食う事になる。自由競争で勝ち負けがあるのは仕方ないが、政府間の取り決めで他国にダメージを与えれば、中国が「自由貿易の担い手」と言ってきたのは何だったのかとなりかねない。EUは米中合意が「管理貿易」的であるとして、WTO(世界貿易機関)の規定に違反していないか精査するという。中国では少子高齢化が進んでいるが、2019年の人口は14億を超えた。14億の民に飯を食わせ、更に生活を向上させてゆくのは至難の業だ。なかなかきれい事だけでは、この大国の運営は難しいという事だろう。以下は世界銀行と国際通貨基金(IMF)の2020年成長率予測である。

世界銀行の見通し(1月8日発表)

 世   界  2.5%

 米   国  1.8%

 日   本  0.7%

 中   国  5.9%

国際通貨基金の見通し(1月20日発表)

 世   界  3.3%

 米   国  2.0%

 日   本  0.7%

 中   国  6.0%

 

 ※新型肺炎の蔓延について、現時点では予測不能である。従って、これが経済にどのような影響を及ぼすのかは、現時点では論じることはできない。(125日)(止)