8月、中国発の激震が世界を揺るがせた。「人民元ショック」だ。中国の中央銀行にあたる中国人民銀行は8月11日、人民元の目安となる「基準値」を2%近く切り下げた。市場では一気に人民元安が進み、人民元の基準値は3日間累計で4.5%切り下がった。
人民元の突然の切り下げは世界経済に大きな影響を与え、さまざまな憶測を呼んだ。その1つは、中国経済は相当ひどい状況にあるのではないかという見方だ。特にこれまで成長をけん引してきた輸出の落ち込みが大きく、輸出をテコ入れするために切り下げに踏み切ったというもの。更にこの程度の切り下げでは輸出のテコ入れにはならず、最終的には10%くらい切り下げるのではないかという観測もあった。これらの見方を中国当局は必死に否定した。人民銀行の張暁慧総裁助理は「これは基準値と市場実勢の乖離を是正するのを目的としたものである。この乖離は3%前後で、今回の切り下げで乖離の是正は基本的に終えた」と述べた。同行の易綱副総裁も「人民元を10%切り下げるなど、まったく事実無根だ」とうわさを打ち消した。国際通貨基金は8月12日、コメントを発表し「為替レートの決定に市場の役割を強める上で、人民銀行の決定は歓迎すべき一歩である」と述べた。またアジア開発銀行(ADB)の中尾武彦総裁も「人民元はリーマン危機後に米ドルに対して、相当切り上がっていた。今回の対応は、市場の実勢に任せた面が強いので『競争的通貨切り下げ』とは言えない」と冷静に分析している。日銀の黒田東彦総裁も、中国経済に対し「市場は過度に悲観になりすぎている」とし、中国政府が行った人民元切り下げや金融緩和について、景気が減速し、株式相場が動揺しているという「状況下での金融緩和は適切」、「中国人民銀行の対応を歓迎する」と述べた。
人民元切り下げを最も苦々しく思ったのは米国であろう。米国は膨大な対中国貿易赤字に悩んでいる。この赤字がさらに増える可能性がある。日本にとっても短期的には良い事ではない。日本の対中輸出がマイナスの影響を受けるし、在中国の日系企業の収益が減少する恐れがある事は否めない。更に、ここ2年ほど急増している中国人観光客の「爆買い」が減る可能性もある。日経新聞の報道では、資生堂の今年第2四半期(4月―6月)の増収分の6割は訪日客関連だそうだ。
日本では、「バブルが弾け、中国経済は破綻する」的な見方が目立つが、問題は、中国経済の実態を冷静にどう分析するかだ。
① まず「株バブル、大都市とその周辺の不動産バブル」が弾けたことは事実だ。それによって、一部の投資家(83%は個人投資家)や不動産業界がダメージを受け、経済の減速に影響を与えたことも事実である。しかし、一般の国民の所得は年々上がっていて、「生活が以前より苦しくなった」という実感はない。中国政府は2020年のGDP総額と国民の実質所得を、対2010年比倍増させると公約したが、経済専門家の多くは「メドは立った」と言う。ただ実現したとしても、格差は縮小されず、合理的な分配問題は依然として残ると、多くの専門家は見ている。
② 経済指標のうち、輸出、外国の対中投資、不動産投資、新車販売、鉄鋼などの生産過剰問題などはかなり厳しい状況にあるが、その一方で、不動産が若干上向き傾向にあり、雇用が安定しているのは好材料である。消費は低成長ながら堅調である。一番力強いのはサービス部門で、急速に伸びている。
③ 李克強首相は経済の減速問題で、下支えに必要な小刻みな対策は採るが、リーマンショック時のような大規模な財政出動は行わないと再三強調している。今は経済構造改革の最中で、痛みを甘受する時期であり、困難は2020年頃まで続くであろうと述べている。
④ 経済構造転換、内需掘り起しのカギは内陸部農村地域の「都市化」にある。確かに都市化は徐々に進み、都市人口はすでに農村人口を上回った。しかし、都市化の経済効果が表れるのはもう少し先であろう。
⑤ 「一帯一路」(陸と海の新シルクロード経済圏)構想は緒に就いたばかりだが、この構想を金融面で支える「アジア投資銀行」(AIIB)は先ごろ57ヵ国で発足した。初代総裁が内定している金立群・元中国財政次官は9月9日、訪問中のソウルで「参加国・地域は間もなく70ヵ国を超えるだろう」と述べた。
日本が主導するアジア開発銀行(ADB)の加盟国・地域が67なので、それを上回ることになる。中国経済が「崩壊寸前」なら、AIIB加盟国・地域が増え続けることはない。なお、AIIBは2016年から開業する。
⑥ 米国経済の復調は中国経済にとって好材料だ。国レベルで見ると、米国は中国にとって最大の輸出国で、中国の大幅黒字となっている。米国経済の復調は、そのまま中国の輸出の復調につながる。
こうして見ると、中国経済は決して「真っ暗闇」ではなく、「困難な中にも光明が見える」状況にあると言える。つまり、中国経済は「製造業を中心とした生産拠点」から「世界最大の消費市場」への過渡期にあり、「外資受け入れ国」から「投資国」への過渡期にあり、「発展途上国」から「中進国」への過渡期にあるという構造は変わっていない。
では具体的に、今年のGDP成長目標である7.0%についてはどうであろうか。IMFなどの国際機関はそろって下方修正を行い、7.0%は厳しく、良くて6.8%という見方をしている。中国の政府関係者も「7.0%前後の成長率は確保できる」と微妙な言い方だ。恐らく6.8%-7.0%の枠内に収まるであろう。通常の場合、成長率は第1、第2四半期より第3、第4四半期の方が高くなる傾向にある。第1、第2がともに7.0%だったことに、中国政府はホッと胸をなでおろしていることだろう。ただ不安材料もある。米中対立が激化し、あるいは日中関係がこれ以上悪くなれば、中国経済に対する打撃は図りしれない。中国経済から見れば、国際紛争はなるべく避け、政治・安保関係はさておいて、日米との経済関係は安定させたいと言うのが本音であろう。それは日米とて同じである。中国の株価が下がっただけで、世界経済が大きな影響を受ける時代である。中国との経済関係なくして、米国経済の本格復調も、アベノミクスの成功もない。(止)
2015年9月25日 西園寺