尖閣諸島(中国名「釣魚島」)の領有をめぐる日中の確執は、中国の激烈な反応を呼び起こした。皮肉なもので、日中国交正常化40周年の記念すべき年に、日中関係は「国交正常化以来最悪な状態」(対日関係者)になってしまった。反日デモ隊の一部は暴走し、略奪や放火などの暴力に走った。大学生などの若者が中心の、今回の反日行動を見ていて、あるいは彼らに接してみて、人により微妙な違いを感じた。
まず私の接した限りでは、デモ参加者には3種類くらいの考え方がある。1つは「愛国無罪派」で、反日なら暴力的なやり方を含め、何でも許されるという考え方だ。どちらかと言えば、地方の1流でない大学の、比較的成績の悪い、インテリ度の低い学生と、失業中の若者に多い。この部分は目立つが、ごく少数派で、対日以外でも様々な不満を持っている。2つ目は「愛国無罪派」に心情的にはシンパシーを感じるが、自分には出来ないし、やるべきではないという「中間派」だ。この部分は日本に対し強烈な批判的感情を抱いているが、その一方で日本の技術やサービス、漫画やアニメを高く評価している。憎しみと尊敬相反する気持を同時に持っている、人数的にはかなり多い。3つ目は「理性派」だ。日本のやり方には批判的で、特に尖閣国有化以降は批判がエスカレートしている。しかし、冷静に日中関係を見ていて、双方にとって相手国は必要で、できれば関係改善をすべきだと思っている。過激なやり方には断固反対で、嫌悪感を持っている。潜在的にはこの部分が一番多い。
デモ隊を見て気付いた方は多いと思うが、デモ参加者はほとんど若者で、中高年の参加者は稀だ。もちろんほとんどの中高年は、尖閣問題に関し、特に日本政府の国有化のやり方に対し批判的だ。一方で、多くの人は若者のデモを、特に過激なやり方に対し顔をしかめている。過激なやり方について、中高年の人たちの頭をよぎるのは文化大革命の悪夢である。若者が毛沢東の肖像画を掲げてデモをするようになってから、中高年の多くはデモに対する支持の気持ちが萎えていった。だからと言って、日本に対する批判が消えたわけではない。
もう一つ、今回の尖閣問題で日中の感覚の違いは、日本が尖閣諸島という島の問題だととらえていることに対し、中国の多くの人は歴史問題と見ていることだ。この点は日韓間で係争がある竹島(韓国名「独島」)問題と似ている。日本が法的に領有の妥当性を論じるのに対し、中国は「日清戦争」、韓国は「日ロ戦争」を持ち出して論ずる。つまり、韓国もそうだが、中国国民の中には「日本軍国主義の侵略・蛮行」がまだ生々しく残っていて、その延長線上でこの問題を考えている。中国の楊外相が国連で「釣魚島は甲午戦争(日清戦争)末期、日本に掠め盗られた」と述べたが、日本人は違和感を持っても、これは中国国民の心情に合致している。この点について日中が決定的に違うのは歴史教育だろう。中国では近現代史の中で日本との関係についてしっかり教えている。その中心は日本軍国主義の中国侵略と抗日戦争だ。一方の日本は、近現代における日本と中国、朝鮮半島を含むアジアとの関係についてほとんど教えていない。このことが戦争を知らない中国の学生が過敏に反応し、同じような日本の学生はほとんど反応しない理由だ。
中国で一番苦しんでいるのは年配の知日派だろう。彼らは日中国交正常化の道がいかに険しかったか知っているし、自身も大変な苦労をしてきた。文革中、当時の周恩来総理が極左派の攻撃を受けながらも、癌に侵された体に鞭打って、日中国交正常化を成し遂げた、それを見てきた。何としてもこれまで積み上げてきた日中関係を壊したくないのだ。しかし正論を言えば「親日派」、「対日軟弱」のレッテルを張られる雰囲気が今の中国にはある。あるメディアの元日本特派員は、今回の尖閣国有化を批判しながらも、「中国の経済成長過程で、日本の援助が大きな力になったのは事実で、日本の支援がなければ中国のこのような発展はなかった」と書いた。またある対日関係者は「一部の若者の乱暴狼藉は愛国でもなんでもない。中国の体面を汚すだけだ」と公の場所で述べた。これは、今の中国では勇気ある発言だ。
知日派の人たちは、日本側のやり方は「いきなり殴りかかってくる奇襲」で「禁じ手」だと言う。彼らの言い分は、国交正常化の時も平和友好条約の時も、この問題は存在していた。正面からこの問題でぶつかれば、正常化も条約もできなかった。ではなぜできたのか、それは双方が大局に立ち、この問題を「棚上げ」してきたからだと言う。ある元対日関係者は「棚上げとは、正面から議論しない、双方とも一方的に現状を大きく変更させるようなことはしない」ことで、「中国は自己主張をしながらも、日本の実効支配を黙認してきた。ところが日本は突然国有化という、現状を根本的に変えるやり方をしてきた」と言う。
領土問題というのは厄介だ。恐らく100年議論しても解決しないだろう。昔なら戦争で決着するしかないのだろうが、そんなことができるはずはない。原則的な立場、認識の違いとは別に、感覚の違い、歴史観の違いも大きい。それに双方のコミュニケーション不足、政府間のパイプの無さが問題をこれほどまでに大きくしてしまったと感じる。
11月8日には中国共産党第18回大会が開かれ、習近平を中心とする新しい指導部が発足する。新指導部はこじれた日中関係をどう修復するかの難題を背負っての船出だ。新指導部はどのような外交政策、どのような対日政策を打ち出すのか、興味深い。