中国レポート No.99 2023年11月

李克強前首相急死のニュースを聞いたのは、北京の繁華街で友人たちとランチ会食をしている時だった。「えっ!」とみんな同時に声を上げた。誰かが言った「フェイクではないの」。「いや、もう海外でも報道しているようだ」と別の友人。李克強は首相の座を降りてわずか7か月、習近平より2歳若いので享年68歳だ。報道によると、上海のホテルのプールで泳いでいる時心臓発作を起こしたという。私は彼がまだ若い時から知っているのでショックだった。

李克強の人気は根強く、特にインテリの間では圧倒的だった。李は、派手さはないが、清廉潔白、無言実行型の首相で、大きな事故や災害があるとすぐに現地に飛んで処理に当たった。また「秀才」とは彼のためにあるような言葉であった。李は北京大学経済学博士である。李克強や習近平は苦労した世代だ。小学生の時、文化大革命(文革)が勃発し、中学、高校時代は農村に下放され、ほとんど勉学の機会がなかった。それでも李克強は農村での過酷な労働の合間に、寸暇を惜しんで独学し、知識を積み重ねていった。1970年代、大学が再開したが、当時は文革の影響が強く残っていた。当初、大学に入れるのは「大衆から推薦を受けた労農兵」であり、入試はなかった。その後一部が推薦入学の「労農兵学員」、一部が正規の試験を受けて入学する「正規学員」となった。因みに同世代である習近平と李克強は共に1970年代後半に大学入学を果たした。習近平は推薦による「労農兵学員」として、李克強は正規の試験に合格した「正規学員」として、それぞれ精華大学(化学工程学部)、北京大学(法学部)に入学している。李克強は1994年、北京大学経済学博士号を、習近平は2002年、清華大学法学博士号を獲得している。

李克強は習近平と共に「第5世代」の指導者と言われる。エリートの李は胡錦涛の秘蔵っ子として、順調に最高指導部への階段を上がってきた。李克強と習近平の関係は微妙だ。李克強は胡耀邦、胡啓立、胡錦涛とつながる「共産主義青年団」(共青団)のエースであった。当時、中国には3大政治勢力が存在していた。胡錦涛を代表とする「共青団派」、引退後も隠然たる力を持っていた江沢民を中心とする「上海閥」、そして劉少奇系、鄧小平系、薄一波系など長老幹部の子弟から成る「太子党」である。習近平の父親は元副総理の習仲勲であり、その意味で習近平は「太子党」と思われがちだが、実はそうではない。文革時、文革派(林彪グループ、4人組など)に排除された高級幹部の子弟はほとんど農村に「下放」された。文革が終了すると、われ先にと北京に戻り、徐々に旧高級幹部子弟による政治勢力「太子党」を形成していった。ところが習近平は、父親である習仲勲が「もっと農村で、農民や貧しい底辺の人々の生活を体験してこい」と言われ、しばらく北京に戻らなかった。北京に戻った時、「太子党」に習近平の居場所はなかった。また当時は鄧小平の全盛時代である。鄧小平とそりが合わず、鄧小平から事実上排除されていた習仲勲の子弟として、習近平は肩身の狭い思いをしていた。習近平は父親の友人である軍の大物耿彪の政治秘書となった。後に習近平の強みとなった「軍人脈」の原点である。習近平は波乱万丈の中国政治の中で苦労をしてきたが、決してエリートとは言えない。むしろ3勢力鼎立、互いにけん制し合っている中、どの勢力にも属さず、敵の少ない地味な習近平が最高権力を手に入れたと言えるかもしれない。これは江沢民の登場と似ている。天安門事件の時北京に居なかった江沢民は、学生への武力弾圧に関わっていなかった。鄧小平らが「手を汚していない」当時序列第9位だった無名に近い江沢民を「ワンポイントリリーフ」として登場させたが、一旦権力を握った江沢民は、上海人脈をフルに活用し、権力を増大させた。

北京の多くの人が李克強の死で、まず頭に浮かべたのは1989年に起きた「天安門事件」(中国では「六四事件」)だ。政治的に重要人物が亡くなった時、学生や民衆が「追悼」を口実に北京の中心部にある「天安門広場」に集まるが、鬱積した不満を爆発させ、政府批判の集会となる。1976年の、周恩来死去の時は「第1次天安門事件」が起き、胡耀邦死去の時は1989年の「第2次天安門事件」、つまり「六四事件」が起きた。カギを握るのは学生の動きである。友人たちは「今回はそういう騒動は起きないだろう」と言った。理由は3つだ。1つは、非常に警戒が厳しく、簡単に天安門には近寄れない。各大学も管理が厳しく、隊列を組んで校外に繰り出す事は出来ない。私は友人と共に天安門広場に行ってみたが、メインストリートである長安街は車がスムースに流れていたが、天安門広場は封鎖されていて進入禁止だった。第2に、過去2回の天安門事件の時は党内闘争が存在し、矛盾は一触即発だった。ところが今回は少なくとも党指導部は習近平が完全に把握し、反習近平勢力は存在しない。第3は、友人たちの話によると、1989年当時の学生と今の学生では「意識が大きく変わった」という。今の学生の多くは国の行く末より、個人の生活が大事で、政治問題に敏感に反応する事はない。確かに1980年代は、改革開放がスタートし、経済は右肩上がりに発展を始めたが、「毛沢東時代」を脱したばかりでまだまだ貧しく、自分たちの国がどのような方向に進むのか、大いに関心があった。ところが今の学生、特に大都市の学生は「甘やかされ、豊かさの中にどっぷり浸かった」世代である。自身の生活を犠牲にするかもしれない「政治運動」に投じるような学生は非常に少ないだろう。ただ今の豊かな生活が脅かされれば別である。中国政府が警戒するのは、コロナ以降経済の復興が思うように進まず、若年労働者(16-24歳)の失業率が20%(実際は40%という人もいる)を超すという異常事態が存在するからである。大卒者の就職は「厳冬期」にある。この問題を緩和、解決させない限り、不満がいつ爆発するかわからない。

その経済だが、中国経済が復興軌道に乗った事は事実である。個々の経済指標は良かったり、悪かったりだが、要するに中国経済にはまだまだ潜在力が豊富であるという事だ。問題は政策で、複雑な内外情勢の下経済運営は難しい。まだ経験の乏しい李強首相には荷が重いかもしれない。しかし多くの人は「結構頑張っている」と言う。

中国経済復活のカギを握るのは不動産市場だろう。不動産関連は中国のGDPの約30%を占める。不動産市場の動向は、建設、鉄鋼、セメント、輸送、家具などの業界に大きな影響を与える。

政府は民営デベロッパーに対する銀行の貸し渋りを警戒し、危機打開に銀行が協力するよう働きかけている。また財務が比較的安定している民営デベロッパーに対しては、政府が金融面でサポートする事で、住宅購入者が安心するような策を講じている。ただ銀行側としては、貸付先が倒産すれば不良債権が増え、銀行自身の経営が揺らぎかねない。このような状況を見ると、頭に浮かぶのは日本のバブル崩壊の悪夢である。いま中国の経済学者、研究者の間で密かに進んでいるのは「日本のバブル崩壊の研究」である。不動産市場の崩壊、株の暴落が引き起こしたのは巨大な不良債権を抱えた銀行の倒産、そして公的資金投入による大規模な金融再編。この金融危機が日本経済の長期停滞をもたらした。中国経済は最悪の場合、この「日本経済の道」に迷い込むかもしれないと考えているからだ。でもおそらく中国は「日本の道」は辿らないだろう。危機的状況、緊急事態などを打開するのは「一党独裁」の方が有利である。上からの命令で迅速に事を運べるからである。財政的余裕もある。何といっても日本の教訓を学ぶことが出来る。中国は他国を真似る、他国から学ぶという点では天才的である。

さて、最近の最大の話題は「中米(米中)首脳会談」である。多くの中国人にとって米国は「最も尊敬する」かつ「最も恐れる」国なのである。その米国との関係が、ここ数年こじれて、対立はエスカレートしてきた。中国の発展、強大化は事実だが、中国の国力が「米国と並んだ」と本当に思っている人は皆無と言ってよい。米国との対立関係がさらにエスカレートするのか、或いは緩和に向かうのかは、中国の将来、人々の生活にとって非常に重要事なのだ。

米中首脳会談の具体的内容は出てきていない。習近平指導部が今回の米中首脳会談を非常に重要視していたのは事実だ。習近平訪米に合わせて、上から各メディアに「米国批判記事」禁止の命が下った。日本では「ほとんど内容がなかった」というのが一般的な見方だが、漏れ伝わってくる話を総合すると、かなり進展があったと思われる。相対的に弱体化する覇権国と、急速に台頭する新興国との矛盾は解消する事はないだろう。これは「変わらない」部分である。ところが、お互いに「変わらなければならない」部分があることも事実である。米国は、国内の分断、バイデンの不人気、経済の不安定さ、対外的負担などがある。中国では経済の不調、失業率の高さ、人々の管理強化への不満などがある。米国は「ウクライナ」を抱え、さらにイスラエル・パレスチナ問題が発生し、イスラエルは米国のいう事を聞かない。世界で巻き起こっている中東の「反戦」は、その矛先を米国に向けだした。この問題が中東全体に拡大すれば、米国は窮地に陥ることになる。米国にとって、最大の懸念は「台湾有事」となった。もし台湾に中国軍が侵攻すれば、米国は多方面作戦を余儀なくされる。それよりも米中衝突は「核大国」同士の衝突なのだ。

中国にとって「台湾」は厄介な問題だ。中国における国共内戦の結果に、米国が軍事介入し、「台湾」問題が発生した。中国にとって台湾問題は「中国の国内問題」という認識は変えることが出来ないし、「中国統一」の旗を降ろすことはできない。しかし実際には米国が絡んだ「国際問題」となっている事は否めない。

万一「台湾有事」が起きたらどうなるだろう。それは、中台米はもちろん、米軍基地のある日本、韓国、フィリピンなどを巻き込むことになり、朝鮮半島の動乱を誘発する可能性は大である。そうなれば「台湾発第3次世界大戦」である。核弾道数は、米国が5500発、中国が500発、北朝鮮が40発と言われる。しかしもう数は関係ない。核を打ち合えば、恐らく北京は消滅するだろうが、ワシントンもニューヨークも無事では済まない。核戦争に勝者はなく、敗者は人類なのである。「人類滅亡」が現実のものとなる。

米中関係のカギは「台湾」にある。今回の首脳会談のメインテーマは「台湾」だった。双方は「ぎりぎりの譲歩、妥協」をしたと言われる。「台湾有事」を避けるためである。習近平は米国に対し「私は台湾侵攻を考えたことはないし、これからもない」と言ったそうだ。それに対し米国は「過去も現在も将来も、米国は台湾独立を支持しない」と応じたと言われる。双方が恐れるのは「偶発的」事態であるが、軍を含む多重なパイプの設置で、偶発的事態を防ぐ措置を行う事で合意した。

習近平は米国に対し、両国関係の安定化のために5つの提案をした。①正確な情報の認知、②意見の違いに対する効果的な管理・コントロール、③互恵的協力の推進、④大国としての責任認識、⑤人的、文化的交流の促進。米国は大枠で同意したと言われる。

米日など西側では、中国は2027年、或いは2035年に台湾侵攻を行うだろうと言われてきた。習近平の話が事実だとすれば、少なくとも習近平在任中は、中国の台湾侵攻はないという事である。ただある人達は「軍内には少数ながら過激派が存在する」と言う。それが事実なら、彼らは習近平指導部に対する「謀反集団」となる。米中首脳会談後、軍内の厳しい点検が行われるだろう。

米国にとって、習近平体制存続が望ましいという事になる。つまり米国は習近平体制を「認知」したという事である。だからと言って、外交安保的、経済的な米中対立が亡くなるという事では決してない。問題は、さまざまな要素を含みながら、米中関係は刻々と変化し、それに伴い国際情勢も変化するであろうという事である。日本は米国の「反中国」の一面のみをみて、物事を判断すると誤る。ある意味では「狡賢く」立ち回らないと、変化の渦に飲み込まれてしまうという事だ。(止)

西園寺一晃 2023年11月25日