四川大地震は想像以上のすさまじさだ。中国は地震の少ない国というイメージを持っている人が多いが、有数の地震国なのである。頻度は日本より少ないが、歴史を見ると大地震が多く発生している。
まだ記憶に新しいのが「唐山大地震」であろう。1976年7月28日午前3時42分、河北省唐山市付近を震源地とするマグニチュード8.2の直下型地震が発生した。市街地を北北東から南南西に走る断層に沿って、大きな水平右ずれが生じたことによる大地震であった。河北省有数の工業都市唐山は壊滅状態となった。中国政府発表による死者24万2769人、重傷者16万4851人、合わせて40万7620人。住宅の全壊率は94%に上ったという。1923年9月1日に発生した、マグニチュード7.9の「関東大震災」の死者が約14万人だから、その規模の大きさがわかる。
唐山大地震発生時、中国国内は微妙な状況にあった。その年の1月に周恩来総理が逝去、最高実力者の毛沢東主席は老衰し、寝たきり状態であった。権力は徐々に、後に「4人組」と呼ばれた文革極左派の手に移りつつあった。鄧小平ら周恩来につながる反文革実務派は追放されていた。唐山大地震が7月、その2ヶ月後の9月に毛沢東が亡くなり、10月に「4人組」事件が起きた。毛沢東が指名した後継者とされた華国鋒が権力を握るが、やがて復活した鄧小平との間で権力闘争が勃発、近代化を掲げた鄧小平が権力闘争に勝利する。ここから中国の大変化が始まるわけだ。
唐山大地震時の1976年といえば、ニクソン米大統領の訪中を経て、米中和解は成り、日中国交正常化は実現、中国は国連に復帰していた。ところが、中国は唐山大地震に対する国際社会の人的支援を一切拒否した。情報開示も当初はほとんどされなかった。
唐山地震から32年、中国は大きく変わった。中国はいち早く温家宝首相を本部長とする対策本部を設置、情報を開示、外国メディアの取材陣も現地に入れた。即刻投入された消防、武装警察、軍隊による最低限の道路確保などが成されると、外国救援隊の現地入りを実現させた。被災地に先ず温家宝首相が入り、その後胡錦濤主席が入ったが、両首脳そろい踏みは異例なことである。中国では温家宝、胡錦濤両首脳の評価が急上昇している。特に胡錦濤が強調する「人間本位の政治」を、自ら実践したと評価は高い。
中国全土で被災者救援活動が燎原の火のように広まっている。各地の募金所には長い列が出来、救援ボランティア希望者が殺到している。著名な俳優、アスリート、学者、企業家など各界の高額所得者は競って高額の募金を表明している。所得に対して募金額が少なすぎるとブーイングを受けた俳優が、募金額を何倍にも修正するということも起きている。企業、団体、政府機関などは募金だけでなく、被災者救援のため何らかの取り組みを始め、あるいは模索している。
友人のジャーナリストは「市場経済化以降、ともすると人々は個人的利益のみを追求し、助け合いとか団結が薄れていた。しかしオリンピックを成功させようと国民の連帯意識が一気に高まったが、今回のことを通じさらに一体感が増した」と言っていた。
一体感と言えば、今回の被災者救援で中台関係が一気に親密さを増したと言える。先の台湾総統選挙で「中国は一つ」と主張している国民党が「台湾独立」を旗印とする民進党を破り、政権を奪還することが決まった。中台間は緊張緩和に向け歩みを速めていた。この流れを今回の大地震が更に加速させたと言える。台湾では「同胞を救え」のスローガンの下、募金活動が始まったが、募金額は外国・地域の中では桁外れに多い。また台湾の救助隊は特別直行便で台湾海峡を越え、中国入りした。このほど新総統に就任した馬英九は個人で義援金を出した際、「一つには人道的立場から、もう一つは中華民族の一員として出す」と述べた。
中国政府は間髪をいれず動いた。17日、胡錦濤党総書記は国民党の呉伯雄主席に、早い時期の北京訪問を招請した。国民党の呉敦義秘書長は「両岸(中台)関係の改善に向けた胡錦濤総書記の誠意と善意を十分に受け止めた」として、招請受け入れを表明し、呉伯雄主席をトップとする国民党高レベル代表団を26日から6日間の予定で派遣すると発表した。中国国務院台湾事務室の陳雲林主任は「台湾各界は同胞の骨肉の情から義援金や物資を寄せ、国民党は直ちに共産党中央に見舞い電報を送った。被災地を代表して心より感謝する」とし、「呉伯雄主席の大陸訪問は、台湾海峡両岸関係の平和的発展を促す」と述べた。呉伯雄主席率いる代表団は予定通り26日に訪中、先ずは南京に行き、27日に北京入り、胡錦濤、呉伯雄両主席による国共首脳会談は28日「友好的な雰囲気」の中行われた。双方は会談を通じ①中台対話の再開、②中台直行の週末チャーター便の実現、③大陸から台湾への観光旅行の開放で合意した。
この友好ムードは双方にとって大きなメリットがある。中国にとって、「台湾」と「チベット」は最も敏感な地域である。台湾海峡に波風が立てば、その対処の仕方によって米国との関係、国際社会との関係がギクシャクする可能性がある。とは言え、台湾が本当に独立に動けば、中国はどんなリスクを払っても武力を用いて断固阻止に出るだろう。地域限定にせよ、台湾海峡で戦火が上がれば、米中関係が壊れかねないし、中国の近代化は大きな制約を受けることになる。中国としてはどうしてもこの地域の安定が欲しいのである。安定さえ保てれば、経済を中心に相互依存関係が深まり、将来の統一への展望が開ける。
台湾にとっても、この地域の安定は是非必要だ。戦争が起きれば、中国にとっては「局地」であっても、台湾にとっては存亡にかかわる問題である。台湾住民にとって、豊かさと安全を手に入れる方法は、実質的に現状を維持するしかない。戦争というリスクを犯しても「独立」を叫ぶ必要はないのだ。それに、台湾にとって、米国の「独立反対」というスタンスは大きな足かせになっている。もう一つは経済問題である。台湾経済の行き詰まりを打開する道は、大陸との経済関係を密接にするしかない。中台貿易は順調に伸びている。05年の中台貿易総額は912.3億ドル、台湾の貿易黒字は581.3億ドル、06年は総額1078.3億ドル、台湾の貿易黒字は663.7億ドルだ。貿易総額が1000億ドルを超えたら、両者は切っても切れない関係になると言われるが、06年中台貿易は1000億ドルの大台に乗った。第3国・地域を経ない、直接の通商が始まり、直接通航により大陸から富裕層を中心に大量の観光客が訪れたら、その経済効果は絶大だろう。この地域の安定、関係改善は双方にとって共に利があるのだ。
だからと言って中台統一問題がすぐさまテーブルに乗るとは思えない。今回の会談でも、「統一」問題など、まだまだ双方の見解に開きのある問題については「擱置争議」(対立は棚上げ)にした。台湾に国民党政権が生まれても、台湾が実質的に現状維持を望んでいることには変わりない。しかし、現状維持という大枠の下で、経済をはじめ各種交流が大いに進むことは確実であろう。懸案の「三通」(直接の通航、通信、通商)が早期に実現する可能性は十分ある。少なくとも近い将来、台湾海峡が緊張に包まれるような事態が発生する可能性は少なくなったと言える。
地震発生後すぐに義援金と救援物資の提供を決め、救援隊の派遣を表明した日本の評価も大きく上がっている。救援隊と交代の形で現地に赴いた医療隊も必死の救命活動に当たり、感謝されている。普段は無責任な日本批判が多いネットの書き込みも、地震発生以降は日本に対する高い評価、感謝表明の書き込みが目立つ。中国の人たちは、日本が地震多発国だと知っている。そして日本が地震予知、発生後の対策について豊富な経験と技術・ノウハウを持っている事も知っている。95年1月に発生した阪神・淡路大震災の生々しい映像が中国で流された事もあり、経験豊富な日本の救援部隊に対する期待は大きい。
私は多くの中国の友人からメールをもらった。何でもいいから、日本の経験を教えて欲しいというものだ。被災地に対する食料や医薬品の配り方、仮設住居の設置方法、被災地の治安維持、感染症の予防法、被災者に対する心身両面からのケア、ボランティアの募集と組織・・・なんでも知りたいという切実なものだった。私は物資や金銭面での支援も重要だが、日本の経験と教訓、それも実際役に立つアイデア、工夫を是非中国に提供する必要があると思う。人間困ったとき、助けてもらった恩は忘れないものである。困ったときはお互いさま、国際的な助け合いは相互理解を深める。
今回の大震災で見えてきた課題も多い。先ずは地方政府の旧態依然とした意識である。情報の開示がまだ遅いし、初期の段階で被害をわざと少なく報告した形跡もある。すばやい情報開示、真実の報告があれば、命を落とさないで済んだ人が少なからずいただろう。その意味で、情報の秘匿、意図的な虚偽の報告は犯罪である。
建造物の手抜き工事問題も、すでに大きな問題となっている。今回の地震で倒壊した建造物のうち、学校や病院が多いのは犠牲者が増えた原因の一つである。同じ地域内でも、ある建物は残ったが、ある建物は跡形も無く崩壊した。果たして耐震構造が基準を満たしていたのか。またその基準が妥当なのかどうか。今後大きな問題、課題となるだろう。
四川大地震の傷跡は深く、大きい。余震はなお続き、ダム決壊の危険など、まだ危険は去っていない。被災地での必死の救援活動は今も続いているが、人員、物資共に足りない。中国が自らの力と国際的支援で、一日も早く困難を克服することを願ってやまない。