今年の北京の夏は特に暑い。温暖化なのか、夏は35度―38度が常態になってしまった。時には40度になる事もある。友人の話では、今年は60年周期で回って来る「特別な暑さ」の年に当たると言う。南方の都市では豪雨と大型洪水が増えている。北京でも最近山間部で豪雨による洪水が発生した。政府は猛暑対策を呼びかけているが、唯一の方法は不要不急の外出を控える事だ。人々が外出を控えると消費が落ちるので、痛し痒しである。多くの人は、必需品は通販に頼る。炎天下、街はあまり人通りがない。目立つのは宅配便の電動バイクで縦横無尽に走り回っている。この宅配便配達者、就職できない大卒者が多いと聞いた。宅配便のバイトをしながら就職活動をする。猛暑だが、大卒の若者にとっては就職厳冬期なのである。
この若年層(16歳―24歳)の失業率は経済回復の厄介なブレーキになっているので、政府は必死にさまざまな対策を講じているが、不動産市場をはじめとする経済が上向かなければどうしようもない。少し詳しく述べると、米中経済摩擦とコロナ期の「ゼロコロナ」政策などで、中国の経済は不動産を中心に大きく落ち込んだ。割を食ったのが大卒者で、毎年大卒者1100万人―1200万人が就職厳冬期の中に放り出された。直近の数字は2024年の大卒者数が1179万人、2025年は1222万人だ。2021年―2024年の若年層平均失業率は16.53%だった。それに比べると、今年に入りやや改善の兆しがあるとは言え、最近の若年層失業率は4月15.8%、5月14.9%、6月14.5%だった。全体の失業率が4月5.1%、5月5.0%、6月5.0%なので、若年層の失業者がいかに多いかが分かる。
さて、北京は政治の季節に入った。今年は3月に全国人民代表大会(全人代)が開かれ、昨年の経済運営の総括が行われ、今年の経済数値目標が決定された。これから中国では重要な会議が少なくとも2つ行われる。
1つは例年8月初めに開かれる「北戴河会議」だ。北戴河は渤海に面したリゾート地で、夏になると多くの人がバカンスに訪れる。その一角に頑丈な、高い塀に囲まれた高級幹部用のリゾート施設があり、夏になると多くの党、政府、軍の高級幹部がやってきて夏休みを過ごす。高級幹部たちは休養にやって来るのだが、休養とは別に「特殊な任務」がある。それは非公式な意見交換、根回しだ。特に現役の高級幹部は、この北戴河で長老や軍幹部たちと接触し、彼らの意見を聞き、政策決定のための根回しを行う。中国では、かつて党や政府、軍の要職を務めた長老は引退しても大きな影響力を持っている。彼らの理解を得られなければなかなか事はスムーズに運ばないのだ。これらはあくまで非公式なものなので、内容が発表されることはない。
もう1つは、10月に開催予定の共産党20期第4回中央委員会総会(4中全会)である。ここでは差し迫った幾つかの問題が討議されるだろう。中国は目下内憂外患の状況にある。GDPの約3割を占める不動産及び関連市場の低迷、高い若年失業率、地方政府の債務問題、なかなか上がらない内需。対外的には米中経済摩擦、不安定な世界安保情勢などであり、中国にとってどれもが早急に対応しなければならない差し迫った問題である。もちろん対外関係の中には対日関係をどうするかという問題が含まれるのは言うまでもない。特に今年は戦後80周年の年に当たる。中国にとっては「抗日戦争勝利80周年」である。厳しい米中対立の中で、中国にとって日本との関係の重要性は増している。中国にとって安定した対日関係は不可欠だ。日本問題を研究している友人たちは悩んでいる。それは今後の対日関係をどう構築するかという以前に、今の日本をどう見るかという問題があるからだ。日本研究者は、日本人の多くは日中関係の重要性を認識していると言う。その一方で、ここ数年極端な反中、排外主義的な勢力の台頭が目立つ。この現象をどう認識すれば良いのかで悩んでいるのだ。
これら当面の差し迫った重要問題とは別に、中国の根幹にかかわる問題が存在する。それは「社会主義とは何か」という問題である。
毛沢東、周恩来が亡くなったのは1976年であり、同じ年には「4人組」事件が起きた。ポスト毛沢東として華国鋒が登場したが、1978年には復活した鄧小平との間で「路線闘争」が起き、鄧小平が勝利した。鄧小平は毛沢東批判を封印し、毛沢東思想を掲げながら、実際には「脱毛沢東」化を進め、「改革開放」を推し進め、市場経済を導入した。この過程で鄧小平は毛沢東の「社会主義社会における階級、階級闘争」、「継続革命」の理論を破棄、それに取って代わったのは「白猫黒猫」論であった。白い猫であろうが、黒い猫であろうがネズミを捕る猫は良い猫だ、つまり資本主義であろうが社会主義であろうが、経済を発展させ、人々を豊かにするやり方は良いという意味である。「社会主義市場経済」の登場である。その結果人々の「欲望」が解放され、強大な生産力として開花した。副産物として環境破壊、格差、腐敗などの問題が生まれたが、国民の生活は急速に向上した。
「社会主義市場経済」とは何であろうか。いわば上部構造は共産党絶対指導の社会主義、下部構造は自由競争を基盤とする資本主義だ。本来交じり合う事のない社会主義と資本主義を交じり合わせたものである。経済レベルが非常に低い段階では、これが功を奏した。改革開放から46年、多くの人々は豊かになったが、「小康社会」(国民生活に少し余裕が生まれた状態の社会)になった今、中国社会を形成する社会主義要素と資本主義要素の矛盾が噴き出し始めた。
第1に、「社会主義とは何か」という根本的な問題が非常に曖昧になっている事だ。改革開放で人々の生活は確かに豊かになったが、その間「哲学と理論の貧困」状態が生まれた。毛沢東時代は、何をするにもマルクス主義、毛沢東思想に基づいて行った。「哲学・理論」が非常に重要視された。ところが鄧小平の改革開放の時期に入ると、「思想を解放せよ」のスローガンの下、「何でも有り」となり、むしろ哲学、理論は手かせ、足かせとなった。とにかく何でもやってみる、思想を解放し、理論やイデオロギーにとらわれずチャレンジしてみるという「実践」が重視された。その結果哲学や理論が軽視され、哲学・理論の貧困状態が生まれた。今の中国では社会主義の旗は掲げ、スローガンとしてはマルクス主義、毛沢東思想を掲げながら、「社会主義とは何か」の問いに理路整然と答えられる学者はいない。社会主義を掲げる以上、社会主義とは何か、現代にマッチした「中国の特色ある社会主義」について、理論構築をすべきだという議論が出だしたのは当然と言える。
第2に、「共産党とは何か」という根本的な問題が曖昧になっている事だ。マルクスに始まりレーニン、スターリン、毛沢東と続いた「マルクス主義」によれば、共産党は階級政党、つまり労働者階級(プロレタリアート)の利益を代表する政党である。労働者階級が農民階級と同盟を結び(労農同盟)革命を行い、政権を奪取した後は社会主義建設を行う。これらを指導するのが労働者階級の先鋭部隊である共産党なのだ。「国家」も階級の概念であり、社会主義国は「労働者と農民を主体とする国」なのである。この過程でこれまでのマルクス主義は、社会主義は資本主義社会(中国の場合は封建主義)から共産主義に移行する「過渡期社会」であり、この過渡期においては「資本主義が勝つか、社会主義が勝つか」は、最終的には決着がついていないという解釈だ。従って社会主義社会には階級と階級闘争が存在し、それが時には激しくなる。この闘いを行い、社会主義の勝利を勝ち取るために、権力を握った共産党は「プロレタリア独裁」を行う。「独裁」を行うのは労働者階級、農民階級を主体とした側であり、「独裁」の対象は資産階級(ブルジョア階級)であるというのがこれまでのマルクス主義理論だ。
この階級政党論、国家論を修正したのは1960年代、ポストスターリンで権力を握ったソ連のフルシチョフであった。フルシチョフは「スターリン批判」を行い、経済面では市場経済を導入し、政治面では階級論としての共産党、国家の性格を修正した。共産党は労働者階級の政党ではなく、ソ連の国民の利益を代表する「全民の党」(国民政党)であり、ソ連は「全民の国家」(全国民の国家)であると宣言した。当時このフルシチョフ論に「これはマルクス主義を根底から修正するものだ」と、猛然と批判を浴びせたのは中国共産党であった。これが当時の「中ソ論争」である。
1970年代末の鄧小平は1960年代のフルシチョフに似ている。違うのは、フルシチョフがスターリンを批判した上で、政治、経済面でさまざまな修正を加えたのに対し、鄧小平は「毛沢東批判」を封印し、「毛沢東思想」を掲げながら「脱毛沢東化」を図った事である。改革開放をスタートさせるに当たり、鄧小平は2つの評価に関する議論を封印した。1つは毛沢東の徹底した評価、もう1つは中ソ論争の評価である。
では現在の中国共産党とはいったい何であろう。毛沢東の言う「中国の労働者階級の利益を代表する」階級政党なのか、それとも「中国の全国民を代表する」国民政党なのか。この点について、江沢民時代(1993年―2004年)に大きな変化があった。2002年の第16回党大会で、江沢民総書記は「3つの代表」論を提起し、それを党規約に書き入れた。「3つの代表」論とは、中国共産党は先進的生産力を代表し、先進的文化を代表し、広範な人民の利益を代表する政党であるというもの。問題は3つ目の「代表」で、中国共産党が代表するのは「労働者階級」の利益ではなく、「広範な人民」の利益であると述べた事だ。実は、これは微妙な言い方である。中国では「公民(国民)」と「人民」の意味は違う。全て中国国籍を有した者は「公民(国民)」であるが、「人民」の中には、共産党に反対し、社会主義を破壊しようとする「敵対者」は含まれない。では旧来のマルクス主義が言うところの「プロレタリア独裁」の対象である「資産階級」(ブルジョア階級)はどうなのか。江沢民が提起し、党規約にも書かれている「3つの代表」論によると、共産党を支持し、社会主義を擁護すれば、会社経営者や株主、投資家などの「資本家・資産階級」は「人民」の範疇に含まれ、共産党への入党も許される。つまり江沢民の「3つの代表」論は、事実上中国共産党を「階級政党」から「人民政党」へ転換させたのである。だから鄧小平以降の党指導部の見解は、中国社会には「階級・階級闘争」は存在しないというものだ。ただ、この事を公式な文章では言及していない。では「プロレタリア独裁」はどうなのかと言えば、やはり曖昧なままで、明確にはしていない。論理的に考えれば、共産党がプロレタリア階級の党ではなく「人民の党」になり、中国が「労働者、農民の国」ではなく「人民の国」になり、中国社会に「階級闘争」が存在しなければ、プロレタリア独裁は必要ないという事になる。
第3は「毛沢東思想」の内容と理解が曖昧になっている事だ。「理論」と「思想」の違いは、「思想」には哲学が含まれているという事だろう。中国の指導者の名を冠した「思想」は、これまで毛沢東だけだった。毛沢東は中国革命、抗日戦争、解放戦争を指導し、新中国建国の偉業を成し遂げた。この過程で、毛沢東は独自の思想を編み出し、それは「マルクス主義を中国の実情に合せて中国化した」と言われている。中国では、このことを否定する人は誰もいない。しかし、建国以降の「毛沢東思想」についてはいろいろと議論がある。だから鄧小平は「毛沢東の評価については功績7分、誤り3分」と大雑把な評価に留め、毛沢東及び毛沢東思想の徹底した評価を避けたのである。この議論をやりだしたら党内が分裂する恐れがあるからだ。
鄧小平の改革開放路線が深化し、中国社会が大きな変化を遂げた今、毛沢東思想と現実の間に大きな乖離が生まれてきた。例えば毛沢東的社会主義の根幹である「平等」という概念だ。毛沢東的に言えば、「貧しければみな貧しく、みなで一緒に豊かになる」という「共同富裕」の考え方だ。ところが鄧小平は、この共同富裕は最終的な目的だが、経済が立ち遅れた段階では、そんなことを言っていたら、経済は一向に発展しないと考えた。毛沢東時代には否定された「競争の論理」を取り入れ、中国経済を市場経済化した。そして「先富論」(条件のある者、能力のある者は先に豊かになれ)を提唱した。「共同富裕」の概念と基準は曖昧だ。市場経済とは自由競争を根底に置いた経済である。競争をやれば勝つ者があり、負ける者がある。必然的に格差が生まれる。このような市場経済の下で、「共同富裕」は可能なのだろうか。また起業した成功者はさらに経営を拡大し、多くの労働者を雇用し、ますます会社を大きくする。旧来のマルクス主義に照らせば、経営者(資本家)が労働者を雇用し、生産する過程で「搾取」が生まれる。民営企業の成功した経営者(資本家)は、労働者を搾取する事により莫大な富を手に入れる。社会の底辺で、低賃金で働く労働者、農民とこれら成功した民営企業の経営者は、どうやって共同富裕になるのかという疑問が当然生まれる。それに「人民の国」である社会主義国の主体を成す労働者、農民が最も貧しく、経営者(資本家)が最も豊かであるというのはどういうことなのかという疑問が生まれるのは当然だ。
第4は、市場経済導入は限定的段階においてなのか、それとも半永久的なものなのという問題だ。社会主義の政治制度(共産党の絶対指導)と資本主義的経済(市場経済)の結合は、経済が非常に低い段階では大いに威力を発揮した。これはかつてシンガポール、香港、韓国、台湾(4匹の「スモールドラゴン」と言われた)などの国と地域で成功した一種の「開発独裁」である。当時台湾は国民党一党独裁で、戒厳令下にあった。韓国は軍事独裁であった。ある人たちは、一定期間における市場経済の導入は肯定するが、これが半永久的に続けば「中国は資本主義国になってしまう」と危惧する。その一方で、多くの人は必ずしも二択ではない。社会主義であれ、資本主義であれ、経済を発展させ、人々を豊かに出来るなら良いではないかと言う。つまり市場経済の導入は、一時的な「戦術的導入」なのか、長期的(半永久的)な「戦略的導入」なのかで意見が分かれ、混乱が生じている。もし一時的導入ならいつまでなのか、もし半永久的導入なら、必然的に生じる格差問題をどう解決し、社会主義の理念である「平等」をどう実現するのかなどの問題がある。
第5は、政治改革についてである。冷戦構造が崩壊する過程で、社会主義陣営から重要な人物が2人現れた。1人はソ連のゴルバチョフ、もう1人は中国の鄧小平だ。2人には共通点があるが、相違点もある。共通点は、思い切った改革を行わなければ社会主義には前途がないと危機感を抱いた事である。相違点は改革の方法と順序で、ゴルバチョフは「ペレストロイカ(再構築)」を掲げ、政治改革から着手した。言論の自由、結社の自由、自由選挙などを行ったが、経済が破綻し改革は失敗、ソ連は解体した。一方の鄧小平は「改革開放」を掲げ、政治改革は棚上げし、全力を集中し経済改革に取り組んだ。その結果中国経済は大成長を遂げ、2010年にはGDPで日本を抜き、世界第2の経済大国となった。
鄧小平は改革開放をスタートさせる時、全力を集中して経済改革を進めるため政治改革は棚上げし、後回しにした。しかし政治改革はやらないと言ったわけではない。政治改革は宿題として残っているわけで、いつかは着手しなければならないのである。経済レベルが低い段階では、国民にとって確実に収入が増え、少しずつでも生活が向上すれば、民主や人権が制限されても我慢できる。どの国でも貧しい時代は先ずは腹いっぱい食べる事であり、民主や人権が要求の上位に上がる事はない。しかし中国はすでに「小康社会」(少しゆとりのある社会)に入った。中産階級は確実に増加している。最も重要な欲求は腹いっぱい食べる事ではなくなった。次に国民が要求するのは自由で民主的な社会だろう。中国指導部は具体的に「中国の特色ある社会主義」とはどういうものなのか、「中国式民主」、「中国的法治」とはどういうものなのか、そしてそれらを実現するために、中国は今後どのような政治改革を行ってゆくのか、国民が納得するように説明、実行しなければならない。
以上、難解な事を述べてきたが、中国はそろそろこのような問題が議論されるようになるであろうし、実際一部では深刻な問題として議論し始めている。これらの問題が表面化する事自身、中国が確実に発展した証拠である。10月に開かれる4中全会で、これらの問題が議論されるかどうかは分からない。しかし、今後中国がさらに発展し、中国の人たちが経済生活だけではなく精神生活を豊かにし、国際社会で親しまれ、尊敬される国になるためにも、これらの問題を避けて通る事は出来ない。(止)
西園寺一晃 2025年7月30日